春のガラスに張りついたババアだ(広々とあかるい

網棚に置かれたタバコのケースがわたしのカバンをとるうごきによって真下の席に落下し、ふたりの人間のあいだにはさまった。何が落ちたのかを把握する暇もないまますみませんと声をかけると、親切なおじさんは無言でそれを手にしてわたしに渡そうとする。あ、タバコかと落下物を認識し、いや、ぼくのじゃないんですよと弁解してその振るまいを台無しにしてしまうことに躊躇するとともに、降車しそびれることを危惧したわたしのカバンのなかにはライトブルーのマルボロが10時間ほどしまわれることになる。

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わからなさをわからなさのまま呈示することの予定調和性に抗いながら、そのわからなさの核を伝える。ものごとをあらわす際の姿勢として、気をつけたいと、説明的な身体パフォーマンスをみて思った。わからないことの前提、ディスコミュニケーションという地平の前景化をおこなってもいまさら感しかないでしょみたいな。問題意識の設定はむつかしいよな。変な社会性みたいなとこに足をとられると自由にうごけなくなってしまうよ。極私的であることは免罪符としても成立してしまうとは思うのだけれど、その足場から発することのつよさにおれは懸けているような気がする。何に自覚的で、何を切り捨てていくのか。また今月も投稿できなかった。ウンコだ。