信じていけないと信じるひと

突発のロゴワークをフィニッシュさせ、フライヤーに掲載するコピーの創出とテキスト練り上げのしごと。『心臓オーケストラ』(2002)、『LOVE/HATE』(2003)、『月と手のひら』(2005)といった00年代邦ロックの名盤が霊感をくれる。フライヤーのもととなる作品自体に向きあうのはもちろんだが、どんな類のものであっても文字を書くとは自己に潜ることを意味し、上に挙げたようなアルバムは、自分の深いところに染みこんでいるものをよみがえらせる呼び水として打ってつけなのだった。

夜、卵スープ、にんじんごはん、豚白菜ポン酢味。うまい。

夜、もやしと白菜の中華スープ、ひき肉長芋玉ねぎの味噌胡椒炒め。うまい。

日々ワークが積み重なっており、リキッドレインボウ、助けてくれ!という気分がある。閑静なしごと部屋がほしい。おわりかけのものがぶじにおわることを祈る。この感じがあと2ヶ月くらい続きそうなのはけっこうハードだ。じっさいのいそがしさよりも、気ぜわしさが体調を狂わせる。胃が痛み、食べものがのどを通らなくなる。日夜カリカリ梅を噛みしめることで、精神を保っている。

ワークの積みかさなりにより脳が交通渋滞を起こす。突然叫んだり妹の話を聞いたりして気を紛らわす。日中、祖母の聴覚に対応してしゃべっている所為か、妹に「今日声でかくない?」と声のおおきさを指摘されてマジかよというきもちになる。

夜、鶏キャベツ・椎茸入り。うまいので食卓でうまい!と叫ぶ。あたまがおかしくなっている。シャドウワーク(をつくりだす社会構造)へのうらみつらみが募る。

いくつかのワークに決着がつき、しばしのこころの平安をとりもどす。トロプリのボーカルアルバムがだいぶいい。これまでキャラソン文化にはあまり食指がうごかず、むしろ抵抗を感じていたぐらいだが、その概念が突きくずされるような楽曲の数々(とりわけまなつとさんごの曲)にしてやられている。映画のサントラとともに何周もしている。

せんじつ悪文をなおさない校正のたいへんさに触れたが、翻訳というレイヤーが増えた原稿でそれをやるとさらに脳がバグりそうになり、ひとりで阿鼻叫喚する。今日中にかたをつけるつもりだったが、つかず。太陽が昇る前にねむりにつく。


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ずっと気になっていることなのだが、すとぷりのさとみというひとは、かつて第5人格を口悪実況プレイしていたさとみと同じひとなのか? 日本リリース前後にプレイ動画をよく観ていたので、その名前を見かけるたびにいまの言動とむすびつかなくて、、と思ったらわたしが脳内に浮かべていたのは旦那さまというべつの実況者だった。どちらも同時期に観ていたのでごっちゃになっていた模様。モヤモヤが晴れた。

家族が休みの日にしごとを能率よくすすめることの困難。アップルミュージックの「後で再生」が機能せずに割り込み再生になることのいらだち。明け方にしごとができるよう、生活のリズムを意図的にくずさないとどうにもならない。しかしそうするとしごと相手とのやりとりがおわる! ひどいジレンマ。

書くワークがいくつかあり、現状そのいずれも何を書くか浮かばないのだが、複数あることでの相互作用がなんとかしてくれるだろうと先にヴィジュアルワークに着手する。排気口のツイキャスも途中聞きながらやる。作業能率がおわりはじめた明け方にはmooolsを聴く。

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ズボンズとの思いでMCのあとの「ターム」のイントロにグッとつかまれる(31分あたり)、つづくのが「新しい夜明け」なのがまたいい、「始発の動く音も シャッターの開く音も 聞こえているんだ できそこない同志うまくやっていけるって 気がしているんだ 悪い気はしないさ」、なんてすばらしい歌詞なのか

ビッグシーフの新譜、アップルミュージックで再生するとジャケがうごきだし、感動する。ワンループしっかり見入ってしまった。

デパプリのOP、画面下部に表示されるお品書きの固有名詞など、歴代シリーズへのオマージュが多いのが話題になっていたが、らんがパンダにたおれるところはコッペ様のカットか!と気づいてハトキャのOPを観かえしたがそんなカットはなく、コッペ様のおなかに寄りかかっていた図が思い浮かんでいたえりかがしなだれかかるのはつぼみだった。