ギャフン鍋をつつくひとびと

ハムチーズホットサンドを食みながらダニエル・エスピノーサ『ライフ』を観、ねむり、日が変わった頃めざめる。菊芋と鶏肉と玉ねぎで肉じゃがをつくっておき、リドリー・スコット(というよりもアーロン・グジコウスキ?)『レイズド・バイ・ウルブス』3話を観ながらツナマヨで白米をかきこむ。『ライフ』はまさに求めていた宇宙船SFスリラーで、密室空間で地球外生命体が襲いかかってくる恐怖と緊張感がていねいにつくられており、『エイリアン』を観たい欲望が満たされたのだった。子供の誕生や、夢にまで見た地球外生命体の発見、無重力下における車椅子のいらない生活など、幸せポイントを前半にふんだんに盛りこむことによって、後半との落差を生みだし、恐怖の加速度を増幅させるのは、単純だが効果的な手法である。いちいち死を悼むカットにクドさを感じないでもないけれど、それもまたひとつのリズムをつくりだしているのだろう。クリスチャン・アルバート『パンドラム』とか、そういう系統の傑作をわたしに教えてください。本作のプロデューサーも務めているポール・W・S・アンダーソンの『イベント・ホライゾン』とか観てみたいのだよな。レイズド〜の方はとくに何もいうことなし。強いていえば、時系列の錯綜(入れ子構造?)はたのしい。

u-nextのラインナップを製作年順にながめていると、大学時代に観た映画のタイトルがつぎつぎに目に入り、10年代アートフィルムはわたしの母体のひとつになるのだなあと感慨深く思った。ミニシアター系映画といいかえてもいいが、ここと、00年代邦ロック、10年代洋インディーロック、00年代後期から10年代前期あたりの漫画、10年代中期の東京小劇場なんかがカルチャー受容の下地になっている気がする。ファッションもおおきな素地なのだけれど、いかんせん年代的なつきあいかたをしてきていないので他のカルチャーのように括ることができない。


f:id:seimeikatsudou:20210413131346p:plain
346


テキストの執筆。何かを読んだり観たりしたことが、そのまま書きすすめる推進力になる。べつにその内容が反映されるわけではない。何かを見、考えることが、何かを書き、考えることにつながる。

健康サンダルを履いてゴミだしに行くと、集積所に着くあたりで信じ難く足の裏が痛むのを感じ、逆に不健康になりそうだなと思った。痛むのは不健康だからだと母はいうが、そんな非科学をわたしは信じない。単にわたしの足の皮が薄いのかもしれない。やわらかいし。道中、農家然としたほっかむりをかぶったおばあさんとすれちがい、挨拶をする。わたしは地域に似つかわしくない風貌をしている。