ラジオ、150分。よく話す。熱量の入り具合がそれぞれの取り上げる作品によって異なるのが明確にわかる回だった。放送冒頭に音声が入っていないというトラブルがあったが、それに加えてアーカイブのアップロードに失敗し、録画データが消滅。いちどエラーがでたらおわりって、システム的にもうちょっとどうにかならないのかい、インスタグラムさんよ(これはこれでアウラがでる)!
見出しづけの時間を富野由悠季『∀ガンダム』の視聴に当て、チャーシューチーズホットサンドを食みつつ、4-10話まで。兎にも角にも第8話「ローラの牛」のすばらしさに尽きる! 生まれや境遇がちがえども、ひと(地球人/ムーンレィス)はわかりあえるかと思いきや、あまりにもはげしいわかりあえなさが一挙に露出し、それをアウフヘーベンするかたちで主人公ロランがこれまで隠してきた自身の出自を明らかにするというラストのたたみかけ。すさまじくドラマチックで泣いてしまった。そのくだりに至る前に、ロランに「人は皆、人ですから」といわせているのもいい。まず人間存在に対するたしかな信頼があって、それが眼前で破られていくさまを目の当たりにし、どうしようもなくなってしまって「僕はムーンレィスなんです、ムーンレィスなんですよ!」と叫ぶ。安易に「わかりあえる」と着地せず、かといって「わかりあえない」ことを強調するのではなく、その両極をロランの「告白」によって突き破る強力なストーリーテリング。イデオン13話「異星人を撃て」での異星人同士の対立を、それを見守る主人公コスモの成長という点に着地させる手腕を思いだした。
同じ人間じゃないですか。子供だっているんですよ。助けてあげてもいいじゃないですか! 死ねばいいなんてひどい! ひどすぎます!
月へ帰れ、月の人間なんか飢えて死んでしまえと叫ぶ地球人を見て、ロランはこう叫ぶ。
僕は2年前に月から来ました。けど、月の人と戦います。だけども、地球の人とも戦います。人の命を大事にしない人とは、僕は誰とでも戦います!
博愛主義をあふれさせながらも、ここで「戦います」ときちんといわせているのもよい。地球人だから、ムーンレィスだから、とその属性でものを語るのではなく、「人の命を大事にしない」という姿勢・態度を討つのだと高らかに宣言する。序盤の核となる回だ。バックで流れる菅野よう子の楽曲も涙を誘う。
前話である第7話「貴婦人修行」で、ディアナ・カウンターの兵士に月からの先行移植民であるキースがパンを売る構図も、この展開に至る下敷きとしてよく機能していた。地球生活におけるキースの師であり庇護者でもある親方一家は、月と地球の戦争に巻きこまれて負傷しているという背景が、よりドラマをゆたかにしている。
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杉浦次郎『ニセモノの錬金術師』を最新305話まで読む。すばら! また涙を流してしまった。ラジオでも触れたが『チェンソーマン』が愛の話であるっていうとらえかたにわたしは納得いってないのだけれども、本作を読みおえて、つまりはそれってこういうことでは?となる。ひとびとがそれぞれの胸中にもつトチ狂った愛情の過剰が、物語を進展させ、その対象や自らをも押しつぶしてしまうことのおかしみと悲哀。そうかんたんに愛がコントロールできてたまるかという話だ。緻密に組み立てているであろう世界観のロジックなどはけっこう読み飛ばしてしまっていて、よくわからないままに読んでいるところも多いのだが、キャラクターのつよさが問答無用で頁をめくらせ、彼らのふるまいややりとりが深い感動を与えてくれる(わたしは武闘家ミソカが好き!)。
壁だか床だかトンカチだかをたたく音が隣家からきこえてくるのがつらいなと思いながら就寝。平日昼間から寝ているわたしにも問題がある。