しってるメロディの多重が歴史

手軽さをいかにぶちのめすか。と題目を立てたとき、わたしの目はその手軽さを生みだしている側でなく、受容する側に注目するようにできている。この傾向をちゃんと自分でおさえておきたい。

デザインの相談がまた舞いこむ。うれしい。こうやってうれしいと思えつづけるかぎり、デザインは生業になるだろう。ルーチンワーク化せずに継続するために何ができる?

1階から2階に移ったので雨の音がうるさいという知見を得る。つぎ住むアパートは中階層がいいのでは。これまでひとりで住んできた物件はすべて2階建ての2階だった。そんな狭い経験で何が書けるのか。そんな狭さだからこそ書けることをば。


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藤子・F・不二雄『とっておきドラえもん 胸いっぱい感動編』を読む。収録作のほとんどはてんとう虫コミックスで読んだことのあるものだったが、あらためてすばらしいなと思う。コロコロ変わる魅力的な表情、起伏をつくりだす劇的かつ端的な台詞回し、緩急自在の感情をゆさぶる物語、明暗を巧みに用いた演出力。どれをとっても一級品だ。けっして派手なコマ割りはでてこないのだが、その均等に割られた単純なように見えるコマのどれもが、時間をかけて味わうことができるようになっていることがすさまじい。圧倒的コマぢから。

富野由悠季∀ガンダム』25-30話。27話「夜中の夜明け」28話「託されたもの」なんかを観ていて思ったのはひとの良心というものに触れたときの感慨がわたしのなかで増していて、この戦場という地に咲いたゼノアの姿勢や行動に胸をうごかされた。ディアナを慕う親衛隊もそうだ。「ご都合」などではないひとからひとへの信頼がある。良心が基軸になっているわけではないが、これはポゥが動揺の末に自らの尊敬するディアナに向けて引き金を引いてしまう場面にも通ずるものだ。フィルへの恋慕が、その指をうごかしている。

無知が核を爆発につながってしまう展開も、人類史を正しく撃っている。いや、知があっても核は爆発するのである。「あってはならないゆがみ」としての「夜明け」の光が、ムーンレィスと地球人を等しく通過していく。その清々しささえある光景に、なぜだか潤むわたしの眼球によって、自身の涙腺のゆるみを自覚するし、たしかな演出のちからを感じる。

ディアナというカリスマをどう着地させるのかが気になる、と現時点で思っている。

夕飯の献立。豚の生姜焼き、人参と大根とそせじのミルク味噌スープ。マキマさんのことを思慕しながらつくった。繊維に沿わぬ切断が、玉ねぎの存在感を放たせる。

発売日以降、父親がまいにちテレビの前を占領して自身の兄弟と大声でボイスチャットしながらボタンをカチカチ鳴らしてモンハンをやっているのを見ているときの子供の、あるいはすぐそばで食器を洗っている彼の妻のきもちを考えてみよう。こういうところに人生の厚みがころがっているものだ。