quite quick sickness

雪かき。今冬最大の寒波がきているというが、いまのところこちらはたいして降っていない。ただ、明日は気温が氷点下10度を下回るそうで、さむさはきょうれつそうである。

プチトマトのピクルスをつくる。塩・酢・はちみつ・オリーブオイル・バルサミコ酢をてきとうに配合。数時間経って味見したがむちゃんこデリシャス。

アンジェイ・ズラウスキー『夜の第三部分』。ヨハネの黙示録を下敷きに、チフスが流行るゲシュタポ統制下のポーランドで、亡妻と死んだ息子の面影にとらわれながら、抵抗運動とチフスワクチン精製のための試験体という二足の草鞋を履く男の「献身」が描かれる。母・妻・子を一挙に殺され、自らも銃で撃たれながら秘密警察に追われ、ころがりこんだアパートメントの一室で亡き妻と瓜ふたつのみしらぬ女の出産に立ち会うという、序盤の巻きこみ力がすごい。上下左右にダイナミックにうごくカメラワークが、それらのシーンを構成するカットの緊迫感を高めている。ワンシーンのなかで時空間をジャンプさせるイリュージョナルな演出と、白く染まった呼気を交わしあう「愛」のシーンもうつくしい。ワクチン精製のための鍵であり、エンドロールでもスタッフクレジットの背後でうごめく寄生生物シラミが、作中で依存≒寄生しあうにんげんのすがたを象徴的にあらわし、その丸々肥った身にたくわえられた悪しき血が、さまざまなかたちで画面を赤黒く染めてゆくさまもおぞましく、たのしい。長編第一作ということだが、本作でも狂った女の存在によって破滅する男の話が展開されており、これこそがズラウスキー最大のテーマなのだと理解した。ひじょうにツボである。


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今日はいとこと妹と新年会。前回は焼き肉で話すよりも食べるがせりだしてしまっていたので、今日はしゃべるぞ!と意気ごむ。時世的にはくちをあけるなというムードなのだろうが、そうはいっても!のきもちがある。これがおわったらまたしばらくひきこもりの日々なのでよかろうもん(いったいだれに話しているのか)?

今日は居酒屋で3時間ほどのんびり飲み食いする。店はあまり混んでおらず、前回友人が遊びに来たときとはおおちがいの様相だった(予約をせずに行ったら満席だったのだ)。「わたしたちは皆口数が少ないから……」といいつつ、今夜は話そう話そうとひとりで場を盛り立ててみる。そんなふるまいをしながら、おちょこをかたむけかたむけ、口数の少なさにみたされた場の心地のよさを思った。いとこを家まで送りとどけた際、職場のひとから預かったというプリキュアウエハースをもらう。会ったこともないいとこの職場のひとに、わたしがプリキュア好きであることが伝わっているのである!