生理的な反応に躊躇すること。未知への洞察。嫌悪をおさえこむ知性の必要性。京都造形でのヌード講座の報道記事を読んだ渡辺ペコの反応をみてそんなことを考えた。本人も該当ついーとで引用していたが、記事内にある「うち2人の講師が、自らが自慰行為に及ぶ様子を後ろから撮影した動画」という字面にはたしかに衝撃がある。しかし、現代美術に対するリテラシーをそこにいちまい噛ませてみれば、そのショックはおおきく軽減されるはずだ。本講座には講師として会田誠が参加していて、さすれば上記の文面を読んだ読者の脳内には、「美少女」という字を前にして自分の陰茎をしごく会田誠の背中が「自らが自慰行為に及ぶ様子」にかさなっていくだろう。SNSにおけるわれわれは、裁きを下す審判者として存在している。感情という判決理由を以て、さまざまなひとや事例を、矢継ぎ早にジャッジメントしていく。そこに熟議や熟慮はない。
SNSは感情のメディアだ。そこで散った火花はみるみるうちにおおきくなって、いつの間にか方々で山々が焼け落ちている。どこが火元かもわからない速度と規模で、感情が燃え盛り、延焼し、くすぶっている。そこになんの備えもなしに身を横たえてしまうのは危ない。至るところで火を吹く炎は、かんたんに自分にも火移りしてしまう。ここはけっして論理のメディアではないのだ。
そうはいっても、論理が感情に歯が立つわけがなく、いかにして自らの感情を飼いならすかがすこやかに生きていくうえでのポイントだろう。アンガーマネジメントという語がハラスメントが可視化・共有されるようになった現代においてもてはやされているが、わたしたちがマネージすべきなのは怒りだけではない。感情そのものを取り扱えるようにならなくては、それ自体にとりこまれる生活を過ごさざるを得なくなる。
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プリキュアにそなえて早起きし、豚と春菊としいたけとおからパウダーを塩胡椒醤油で炒めたやつを丼にして食べる。妹も起きてきたので食事の用意をしてやると、ひと口ふた口食べて「春菊きらい」とのこされ、「おまえ〜」となる(「人間がな〜バッタをな〜」の声がつづく)。プリキュアでもポリコレ全開、熱血指導が批判されていて現代の風を感じた。真顔ギャグのテイストもよかった。
ブライアン・デイヴィス×ニック・フルー×マーティン・デズモンド・ロー『型破り! なんでもチャンピオンズ』を2話観る。チーズ転がしやら激辛唐辛子早食い競争やら、でてくる競技がふざけてておもしろい。が、いっしょに観ていた母親が「イッテQはこれ見て行ってんだぞ」というようなことをいい、なるほど、題材は日本のバラエティとも同じなのだなと納得する。その描きかたが異なるだけで、ずいぶんと印象が変わってくる。ポリコレ配慮のおもしろさがある。こうした番組においてもやれ女性やらトランスやらがフィーチャーされているのは、過渡期的なものなんだろうか。
今日もラーメンを食べにゆく。むかーーし食べたことがある店で、印象としてあまりおいしくないという記憶がのこっていたが、ちょううまだった。こっちで食べたラーメンについてはいずれどこかでまとめたい。