のそのそと起きだし、国会中継を見ながらごはんを食べ、ゆーちゅーぶでM-1の予選をみるスロースターター日和。洗面台になんかのキャップがつまっているというのでそれを長い棒にガムテープをくっつけてとりのぞくことに奮闘する。ぐしゃぐしゃのめんぼうまでがひきあげられる。ラジオまでに本を読みおわりたいので読書をする。米を炊き、昨日のカレースープにひき肉と大根とチーズとケチャップを入れてスープカレーにする。肉まんが夜ごはんはいやだと文句をいわれたので先送りになったのである。
自己の無意識を、己の手で把握していくこと。「分離の精神」の発見が、それである。きっかけは労働の負荷による離人症の傾向であるが、それは現在至るところで顔をだしており、わたし自身からのわたしのはがれを感じている。
ラジオ。はじめのほうからコメントがもりもりあり、たのしい気分で90分しゃべりたおす。コメントの有無はめちゃくちゃきもちを左右するのだなと思った。時間配分のむつかしさはある。さいてい60分もあるのだから、聴いている/観ている人たちは気軽に視聴してほしいと思った、カジュアルに出入りできる空気づくり? PCからならいけるそうだが、インスタライブはバックグラウンド再生できないのは構造としてあんまりよくないよなとその後にあった排気口のツイキャスをバックグラウンドで聴きながら思った。
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深夜はひさびさに『富士日記』をひらく。武田泰淳がブチ切れるところがおもしろい。怒るひとのことを日記に書くのはなんとも風情があると思った。書いている本人は横でにこにこしているのもまたよい。
小説に手を入れる。Qさんの曲を聴く。感想を送る。