すきを与える、あいを与える、

恵方巻きを食べたのです。人生うまくいきますようにって、願いながら。

みんな地獄をみている、西尾佳織×河村美雪《この町に住んでいる絵に会いにいく》のなかで、インタビュイーの手につままれたグラフの大半に、30歳あたりを底辺とする下降の谷があるのをみて、そのような言葉が浮かんできた。いままで生きてきた時間のなかで、はたしてわたしはいま現在どのような点として位置しているのか。インタビューの映像をみて、ひとがものを語るときの手の雄弁さを思った。言外と言内。

昨晩のうちにまた雪が積もっており、スコップをふるう。フリーでやっていく景気づけだとひさびさに爪をぬる。ギンザのインスタにあがっていた写真が、前に自分でぬったときのものに似ていて、それを真似した。入り組んだ模倣の作法。ゆびさきがかわいく、テンションがあがる。

今日の夕食はインスタント麺。卵やメンマやチャーシューのじゅんびもあり、けっして「手抜き」にならないのが腹立つなあと思いつつ、その手間を理解しないひとのふだんとのちがいにさらに腹が立つなどする。ひとといっしょに暮らすことのむつかしさを(ほんとうにいまさらながら)噛みしめている。

ラジオ。マルクスのリベンジはまあ、味気ないけれども及第点、みたいな感じで、とりわけ斉藤斎藤についてしゃべってるときと、その後のアフタートークがいい具合だったのでは、というおえてみての感想。プリキュアは台詞を打ちだしたことによってそこにばかり目をとられてしまって、もったいなかったなと思った。もっと話せること、話したいことがあった気がする。いちにち時間を置いて、そういえばふだん画が画がいっているわりには画についてはあまり触れなかったなと心づき、やっぱりそこで為されていたキャラクター同士の会話のインパクトにすっかりやられてしまっていたのだなと思った。ちなみにこれがラジオで触れたアウトノミアについてのインタビュー。なかなかに長いのに加えて、編集の手があまり入っておらず、けっして読みやすくはないのだけれども、内容はちょうおもしろい。全体なんてどうでもいいんだ、とにかく、いま、反労働!って感じのノリは、キュアグレースの「それがわたしの今のきもちだよ!」にも通ずるようでアツい。


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翌朝、吹雪。車体によって隠され降雪を免れていた地面の方形のなかに鳩がたたずんでおり、写真を撮る。動画を撮ろうとスマホをいじくりまわしているうちにどこかへ飛び立ってしまい、しばらくして白猫が横切っていくのも見た。真冬のどうぶつたちよ。雪の勢いが弱まった頃を見計らって外にで、腕がプルプルになるくらい雪をかき、さらには肩をも痛めたことに気づき、シャワーで汗を流す。米を研ぐ手がふるえる。ソファにからだを沈め、相席食堂のM-1ファイナリスト回を観、よくわらう。話法の巧みさ。

今日の献立、ぶりと厚揚げの豆豉醤炒め。赤とん、五香粉、オイスターソース、ウェイパー、胡椒。肉や野菜に比べて魚を料理してこなかったので、意識してつかっていくかと思っている。中華つづきで明日はムースーローをつくるぞと意気ごむ。懐旧される岐阜屋、カウンターでホッピーを飲みながら本でも読みたいな、、