排除の作法

マスク不着用者を排除しはじめたカルディの横暴にわれわれは断乎抗議する!

これはアイロニーが伝わらなくて誤解を生んでしまいそうだなと自粛したついーとです。だがじっさい、この「安心」(けっして安全ではない)のための作法は監視社会の強化であり、息苦しい世界への前進であることはまちがいありません。なおかつ、いまの情勢は、感染の恐怖、あるいは死の恐怖によって、それをとめようとするひとはたちまち吊るし上げられてしまうでしょう。また、わたしには幸い上司から送ってもらったマスクがあるため通行手形として用いることができますが、マスクを手に入れることのできないひとは入店を断られてしまうわけです。買える/買えないに、はっきりとした分断線が引かれるわけです。まあ、そもそも輸入食品店などというものはブルジョワのためのショップなので、、という免罪符は破り捨てたいものですね。階級の前景化こそ、この事態で最も求められるべきものなのです。では、この分断はよいことなのでしょうか? もっとちがう、そしてより踏みこんだ自己規定のしかたがあるとわたしは思います。それには「呼びかける」行為、あるいは「応じる」行為が不可欠でしょう。『チリの闘い』における「同志」の声を思います。彼らはかならず、同志、と言葉のお尻、あるいはあたまにいいそえるのです。そこには亀裂と結合が並走しているのです。


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さいきん食べ物の写真ばかりなのは家にひきこもっているからで、日曜日は散歩に行って花の写真でも撮ってこようかなと思っています(しかし通信制限になったのであまりにもでかいデータだとアップロードに時間をかけてもエラーになる、私的な回線に業務の通信が侵入してくること、在宅勤務の弊害、わたしの母校は今年の前期をまるまるオンライン授業にしたそうですが、もし自分が入学したときにこんなことになってたら詰んでただろうな、そんな学生たちを思うとかなしくなってくる)。いまは雨がざあざあと降っており、家をでようとは1ミリたりとて思えません。風もつよくなってきた。ゴミだしにすら行きたくない。もう6時だよ。またスマホばっかりいじって! でも文字は読んでるから、たくさん読んでるから。こうやって書くこともしてるから。

今日のブランチは鶏むねの唐揚げ丼をつくりました。みりん、レモン汁、醤油を煮詰めたタレをかけて、プチトマトとパクチーをトッピング。マヨネーズもちびっとしぼります。うまい。タレが上出来。あまったものは夜のつまみにもします。

いま枕の周囲には大小7本くらいのブックタワーができていて、とっかえひっかえ読んでいます。オールレーズンとレーズンサンド(こっちもおいしい!)を食みながら、頁をたぐっています。漫画もひさびさに読みかえしたりして、また買い集めようかなみたいなきもちにもなっています。わたしはレーズンが大好き!