スターバックスにひとりで入ったことがない

排水工事のピンポンでめざめる。ねぐせあたま全開で応対し、ものの10分かそこらで処置してもらう。床下(?)をめくると、やはり隙間があいていた。これで悪臭ともおさらば、、去年いちじるしかったゴキブリの侵入もなくなるだろう。引っ越す前にそんなとこで消耗したくないもんね。起きたついでにゴミだしチャレンジに成功していく。

洗濯機をまわし、巨峰カルピスを飲みながら、フライヤーの文字処理をどうするかを思案する。どこにどの要素を配するかというだいたいの大枠はできてきたので、それをどのように記すのかという点がいまの課題である。ひじょうにくるしく、悩ましいポイントだが、たのしいところでもある。デザインの名を借りてわたしがなにをやっているのかといえば、やはりそれは編集の名で表されるなにがしかなのだと思う。

映画館も美術館もリオープンしはじめて迎えるはじめての週末、どこへでかけようかなという浮ついたきもちもあったのだが、端末画面左上に表示された青い傘のマークと、そこにつらなる雷のマークを見てどよどよしたきもちになる。しかもタップして詳細を見てみれば、いちにちじゅう降りつづくとでている。せめて雨が降りだす前に買いだしに行く。

放置していてすこし青みのでてきたじゃが芋を切ってレンチン、熱々のうちにチーズ、マスタード、ツナ缶、マヨネーズで和えて朝食。syrup16gの『copy』をかける。ほんとにいいな。すさまじい詞のきれあじ。暗い。あらゆる音楽は内省的である。たとえばEDMでさえも、その内的触発によってからだがおどりだす。「死にたくない 尻を振れ」。そういうことである。「広い普通の心をくれないか」。泣けてくる。泣けてくるが、それがものをつくるものの業である。泣けるといえばリフも泣ける。思わず顔でギターを弾く。

通勤しだしてあらためておどろいたのは、かろうじて本は読めても読書ノートがまったく書けなくなることだ。デザインの線も同時に走っているので通常よりも負荷がおおきいのはまあそうなのだが、だとしてもこんな一文字も書けなくなるとは思わなかった。小説も同じく。買いだしにでる気力がわかずスピッツ『名前をつけてやる』をかける。「天使から10個預かって」。なんちゅう歌いだしなんだろう。そしてなによりこのアルバムにはマイフェイバリット・マサムネ・リリックのひとつ「ででででっかいお尻が大好きだ」がある。「ゆっくり歩こうよ」につながるのもいい。天才すぎる。

「すぐにショーユのシミも落ちたよほら」ともいうので、何年も前からしみがついたままになっていたハーフパンツの茶ばみを落としにかかる。そうこうしているとNくんからDJまわすからおいでよという誘いの電話がきたので、買いだしをさっさと済ませて家をでる。コロナ禍になってからはじめてマスクを探しにいったのだけれど、市場に回復したっていってたのだれだよ、ぜんぜん売ってないじゃん、となって週が明けてもまたノーマスクだなあと、ゆううつなきもちになる。わたし自身はどうでもいいのだが、他者からのまなざしがいやなのである。と、これを書いているいま、マスクなしで電車に乗っているわけなのだけれど。


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ひさびさに外でラーメンを食べた


これから人生どうする話をNくんとビールを飲みながらし、上記のラーメンを食べ、わたしの家で飲みなおす。せっかくなのでバンドメンバー全員とビデオ通話をする。半分オンラインとはいえ、4人揃うのはいつぶりだろうかというめずらしさ(そんなんでバンドといえるのか、、?)。外で雨がざあざあ降るなか、スタジオ入ろうだの近況報告などの話をする。

解散したのち、家族と電話。人生どうする話のつづき。家族とこんなに電話してるなんて生まれてはじめてじゃないか? ほんとにどうするんだろう。