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指の先ばかり怪我している

健康でありたいと思う。

健康でありたいなと思ってまえに「いとおしき健康と安全のための自殺」という詩を書いた。昨年の3月くらいにその一部分が芽生えて、6月くらいに完成した詩である(今月も佳作でしたよと実験映像にくわしいH氏に詩手帖の誌面を見せた際、タイトルが物騒だというようなことをいわれたのを覚えている。彼は鈴木志郎康で卒論を書いており、その影響もあってぼくの卒論にも志郎康が登場する。好きな詩人のひとりである)。書くことで多少は健康になるのだが、相も変わらず不健康な状態でまいにちを生きている。

社会に隷属している自分がとてもいやだな。駅の改札からわらわらと排出されているくろいひとたちをみていると「なんでだ」って思ってしまう。そのなかに自分もまぎれていることがゆるせないしやるせない。はやく脱けだしたいが、脱けだせるだけの体力がない。だから、別の方法を見つけなくてはならない。みんなはどうやって生きているのだろうか。

今日はロベール・ブレッソン『シネマトグラフ覚書』、アルフォンソ・リンギス『変形する身体』、マウリツィオ・ラッツァラート『記号と機械』(前述のH氏が教えてくれた)、ミヒャエル・ハネケほか『ミヒャエル・ハネケの映画術』を買った(宗利淳一の装丁いいなあ!)。昨日は平田詩織『歌う人』。こう書くと読書家のように思えるが極度の積読マンなのでこれらすべてを読み終えるのにたぶん数年かかる。

いま、電車のなかで歩きながらカップラーメンすすってる小学生がいてサイコーだった。