複数の問題系を生きるということは、戦線の点在を意味する。抱える問題が増えれば増えるほど、複雑になればなるほど、ひとの〈戦力〉は消耗し、ついには手を放す。ひとを支配するためには、複数の問題を与えてやればよい。異なる場所に火をつければよい。たちまち集中は分散し、疲弊するだろう。くつがえされる選択と集中、これがひとつの支配の方法論である。
岡山へ行った。岡山芸術交流の話はここでやる(きてね!)ので飛ばすとして、その他観光の話をしたい。まず肝心のごはんであるが、ぜんぜんだめであった、、ラーメンとみそかつを食べたのだけれど、どちらもあまりおいしくなく、、せっかく瀬戸内に来たのだから魚を食べればよかったのだね、飯<鑑賞に時間を割いたのでこうなってしまった、わたしの選択もわるかったのだろうね、次回行くとしたらぜったいに魚を食う、甘ったるいラーメンは食わない、決めた!
着いた初日は倉敷へむかった。川越感、京都感(ともに行ったことがない、京都は今週末行く)があった。その風情をつくりだすお店らに立ち寄ったわけではないが、よい感じであった。大原美術館と倉敷市立美術館にも行った。倉敷市美は丹下健三の建築であったのだが、ほかにもいい具合の建物がいっぱい建っており、最初に抱いた感覚はいいアーキテクチャが多いなということだった。
建物の例1
いい具合といえば、出発するまえ、よさげな古書店にいくつか目星をつけていた。本、雑誌、印刷物ラバーとしてはやはり旅先の書店に新古を問わず行きたいのである。であるが、けっきょく行けなかった。ひとつは土日のみの営業で、もうふたつはスケジュール的に無理であった。代わりに散歩して見つけて立ち寄ったところは漫画と参考書に埋めつくされなおかつ値づけも定価の半額とかいうふざけた設定で、さらっと一周しておわった。また映画ファンのためのショップも商店街にあって、パンフやらグッズやらサントラやらが山積みの店内をわくわくしながらうろうろし、クストリッツァのアンダーグラウンドのパンフなども見つけたのだが、5000円で手がでなかったよね。
建物の例2
商店街にはほかにもすてきなお店がたくさんあって、時間的に入れなかったところもたくさんあったのだけれど、そのうちのひとつであるアートギャラリー兼ブックショップにわたしは吸いこまれ、そこで高木こずえの写真集を見つけるのであった。
ねむい、つづきはまた後日! in KOBE