いったい誰にむかって?

柴山智隆『好きでも嫌いなあまのじゃく』(2024)、あまりのれなかった。「ツムギのキャラデザがかわいいな」をきっかけに観た作品だが、ほんとにそのくらいしか見どころがない。陰の里・家族という閉所からの解放を、ボーイ・ミーツ・ガールを通して描くのだが、「旅館」というアニメにおける便利施設の運用法だったり、聖地巡礼を目途としたような「ご当地アニメ」的演出・場面設計だったりが鼻についてうーんという感じ。ついったをながめるとリアリティの点で文句を言っているひとらが多く見られ(鬼の存在についてのエクスキューズがないとか、息子が家出して/気を失っている少女を前にしてなぜ通報しないのか、とか)、言っていることはわかるし、たしかに気になる箇所ではあるのだが、『クリーピー』(黒沢清)にブーを垂れているひとらのことを思いだしていらいらした。そんなところどうでもいいだろ!

「自分のきもちを押し殺して生きる者」として言及される鬼は明確にマイノリティのメタファーとしてあるわけだが、たとえばそれはフリマ会場における兄妹のやりとりで(意図的かどうかはさておいて)うっすらとかもしだされる近親相姦的感情ともむすびつけられるもので、ひょっとするとかなりエッジィなことをやっているのか?とも思ったが、そこを掘り下げるほどのきもちは起こらなかった。ほか、夜の公園でブランコの椅子を押しあいながらの(ディス)コミュニケーションシーン、未来から発されたツムギの声が柊をバスへともどらせる演出がよかった。

わんぷり19話。キュアリリアン誕生回。路上でガルガルの匂いを嗅ぎとろうとするこむぎのりりしさがわらえる。動物にまつわることわざがたくさんでてくるAパート、デフォルメでそれぞれのキャラが木を登る猿だったり、念仏が耳を通過していく馬だったりになっている演出がいちいちたのしかった。土田豊節! きわめつけは、キュアフレンディ変身時の決め台詞である「あなたの声を聞かせて」→即ガルガル逃走→「聞かせてくれない!」のカットワーク。こうしたふざけの対面には、リリアンの変身を憂いの表情で見つめるニャミーを「ワンダフル!」とよろこぶフレンディたちのカットの前に配置したり、ニャミー→ユキの変身解除を舞い散る葉の通過によっておこなったりするシリアスさがあるわけで、この振り幅こそが土田回のたのしさだよなと思う。

変身時の表情・声音の変化もいい。だれかをまもるために、ひとはつよくなれる。

東京からKさん、Oさんがやってくる日。ちょうどお墓の草むしりに来ていたKさんも交え、ビールと日本酒をガブ。ひさびさに詩の話ができてうれしかった。ラジオで自分の好きな詩の話をしようと思った。はじめて訪れたMという店、つまみがどれも美味でよかった。

ガルクラ10話。父と和解回。イイハナシダナー。こうやってまっすぐに「家族」を肯定するのは近年の物語としてめずらしいのでは?とも思った。川崎に「帰ってきた」とつぶやく仁菜のすがたはまさしく上京者の感慨で、めちゃくちゃいいな!となった。

夜、すき焼き風。もやし・ほうれん草とすき焼きっぽくない具材を牛肉・豆腐とあわせてすき焼きに。うまい。案外合うと思った。

アストロノオト10話。ショーイン移住&テルルン決意回。「好きなもの」を軸に話がすすむ。話がおわりに向かっている感があるが、いったいどのようにたたむのか。たのしみ。

便意に従って本を一冊ひっつかんでトイレに行くと、ちょうど用を足す描写が紙面にあらわれ、感慨深くなった。小説の人物は錆のでたフライパンにまたがって、水のような便をぶちまけていた。古屋利裕『セザンヌの犬』、冒頭の「「ふたつの入り口」が与えられたとせよ」だ。

夜、ニラ豚玉ねぎのにんにく酢醤油炒め。うまい。



バルトシュ・M・コヴァルスキ『誰も眠らない森』(2020)『誰も眠らない森2』(2021)。正直全然期待していなかったがおもしろかった。前者はユーモア薄めのタッカー&デイル(つまりはもともとのティーンエイジャーインザウッズwith殺人鬼的ジャンル映画ということだが)な感じで、そこから予想外の方向へと展開していく2はかなりのめっけもんで、想像以上に満足した。冒頭に過去のエピソードを入れ、現在に時間軸を移す構成は彼がこのあとに撮った『ヘルホール 悪霊館』と同様で、とはいえ作風にはとぼけたあかるさがあり、こちらの方が好み。ネット中毒をデトックスするためのオフラインキャンプが舞台となっており、電脳中毒を悪魔の仕業と考えているのかわざわざ牧師がスマホをお清めにやってくるのがウケたし、主人公の女の子とガールミーツボーイするジャンル映画好きのデブオタクキャラもいい味をだしていた。おれが囮になるぜ!の祈りのキスからの、激キモビジュアル怪物による舌ちぎりキスの落差! 後半はリベンジスリラーな趣があり、爽快感があるのも好印象。

2では1のもうでてこないだろうと思っていたネタキャラがメイン級に昇格し、さらには主人公だった女の子が敵になる、というひねりの効いた人物配置からしてたのしく、素手で心臓引き抜き殺しだったり、顔面の皮引きちぎり殺しだったり、ゴア描写がマシマシになるのも愉快。しかしそうした細かな技も霞んで見えるほどの超展開が中盤以降に配置されており、「おれはいま観たことのない映画を観ている!」という興奮があった。こういう瞬間のために映画を観たり小説を読んだりしていると言っても過言ではないので、これだけで全肯定をかましたい。プレイグラウンドを観た際に感じたコヴァルスキの映画的野心はずっと生きつづけているんだ! ヘルホールもラストをやりたいがための映画だったんだ! この映画もこの展開をやりたいがための1であったんだ!とかなりプラスのきもちになった。藤子Fの流血鬼(以後)をやっている!という気がしたし、正直内容をほとんどおぼえていないのだがアリ・アッバシ『ボーダー二つの世界』(2018)ともちかしいアティチュードなのでは?と思った。くわしくはラジオで話す。


▼ヘルホールの感想
seimeikatsudou.hatenablog.com


夜、きゅうりとレタスの味噌マヨ生姜サラダ、鮭と豆腐の塩スープ、焼き餃子(冷凍)。うまい。