使い捨て愛情包帯

起床、即、j.comの来襲。敷かれた布団をそのまま踏みつけて部屋のなかへとずかずかと入っていく神経が、j.comという企業体の中枢をつらぬいている。しばしだらだらしたのち、バスに乗ってQさんとうなぎを食べにでかける。川勢。焼身のなんちゅうふわふわさ。もっともりもり食べたいが、おいそれと手がでる値段ではなかった。野球帽(オータニのだ、と自慢気に語っていた)を被った常連と思わしき老父が、隣りに座った熟年のカップルに対してやたらと釣りの話をしていた。店主夫婦にもしきりに話しかけていた。炭火によって香ばしく焼かれるタレのさなかに、家父長制のスメルがした。

ブックオフ・ディギングに向かったQさんとディグの浅瀬で別れ、Aさんハウスへ。MCバトル、際限なき勃起(を強いられる)空間(例:スマホは2年で乗り換えるのがお得! さあ買え! さあ買え!)、アニメなどについて語りながら、「たくさんの的」次号のテーマや〆切を決める。Oの起伏のはげしい生の話、平坦なわたしはおもしろがってきいているが、本人はとてもたいへんだろう。グッドラック。駅で彼を見送り、Aさんと味噌汁が飲めなくなる前に松屋牛めしを食らう。大盛りにしたのに肉の少なさにびびる。これがビンボーの国ニッポンか(国の読み「ニホン/ニッポン」についても話したことを思いだす)。コロナ対策の仕切り板の所為でまったくふたりめしという感じがしなかった。的がんばろうと言って別れる。夜の電車はゴミばかり。電車のなかで傘の先を床につけないやつはひとりのこらず刺されて死んでください。

ロング缶のビールを何本か買って帰宅。Qさんは低気圧にやられて沈没中だったのでひとりで飲みはじめるとHさんが帰ってきたのでふたりで飲む。今回はめずらしく打ち上げで遠い席だったので、ようやく演劇の話をした気がする。「打ち上げの場で、トイレからぼくが帰ってきたときに『ぢるちゃんたのしい?』とHさんが聞いてきて、Hさんさびしそうな顔をしていましたよ」とQさんに前に話したが、その答え合わせができた。だれもさびしい思いなんてしていなかったのだ!

起床、即、LAST PARTYの告知。Hさんがラストパーティーという語にツボっていた。ジャンク飯を目指しQさんとしばし駅前を探訪。けっきょくすためしに落ち着く。すた丼のパクリである。10年以上前に八王子で食べたことがあるはずだが、その味をおぼえていないのでどこまで似ているのかわからない。松屋もこんくらい盛ってくれ。駅前で別れる際、喫茶店に行って『淵の王』をこれから読むと告げるQさんに対して「いちど読みはじめたら止まらないですよ!」と言い捨て、江古田のガシャポンショップまで行って「デリシャスパーティ♡プリキュア クリアファイルコレクション」を4回まわして即ひきかえす。お目当てのあまねちゃんがでたのがうれしい。絵柄がマジでいいのでクリアファイルコレクションは今後も続いてほしい(値は上がっていたがおジャ魔女のもでていたので安心していいか?!)。新宿の紀伊國屋書店に立ち寄るも、売り場がオシャレになっていてちょっと引く。おれたちはあの地味で陰気な紀伊國屋書店が好きだったのに、、

ゴールデン街に移動し、BAR十月でSUGIさんの個展。続々としっているひと、しっているけれど会ったことがなかったひと、しらないけれど話しかけてくれるひとが集まり、すこぶるたのしい時間を過ごす。わたしの展示も来年ここでおこなわれるかもしれない。閉店後は西荻のシャレオツなバーにまで連れて行ってもらい、香りのいい台湾のウイスキーを飲ませてもらう。駅で別れ、富士そばでそばをかっ喰らい、もうだいぶ盛り上がっているラストパーティーになだれこむ。打ち上げで話せなかったことが心残りだったMさんがドアを開けてすぐの場所にいたので挨拶をする。今夜もクイズ大会がひらかれる。なぜこんなにも皆コナンと怪傑ゾロリについてくわしいのかとびびりちらかす。酒を追加しているうちにねむくなったのでまたも早めに寝入ってしまう。

昼前に起床。パーティの残滓。家主のふたり以外では、Mさんが唯一生き残っていた。のこりものには福があるということで、余っていたフライヤーを進呈する。帰り支度をすすめ、クソお世話になりましたとお別れする。キャリーをひきひき、新宿の台湾料理屋にてK先生とランチ。今回は魯肉飯。豆花があまうま。前回来訪時はあまりゆっくり話せなかったので、こうやってまた時間をつくってもらえてうれしいきもちになる。書店に行くというK先生に紀伊國屋書店の変貌ぶりを嘆いて別れる。



ルーローハン、うまい!


東京駅。丸善に行き、美術の棚などを見たのちタルコフスキー『映像のポエジア』を買う。駅にもどり、プリストへ。ひと通り店内を見渡し、SDキャラのアクリルキーホルダーを買って退店。やっぱり東京店はせせこましいのでつぎは横浜店に行きたい。新幹線までは時間に余裕があったので秋葉原にも立ち寄る。すれちがうオタクたちのオタク然とした立ち居振る舞いに、なにか感動のようなものが芽生える。「男らしさ」を履き違えたようなぶつかり無謝罪直進マンの存在にはビビる。降り立った目的はプリキュアグッズだが、めぼしいものは見つからず、何も買わずに再出発。いろいろまわったが、品揃えはまんだらけ一強と考えていいのか? アキバにくわしいひと、教えてください。新幹線は乗換え7分のギリスケだったがなんとか間にあう(切符購入操作をミスって最初からやりなおしになったとき、乗り換え改札とまちがえて出口のほうの改札をでてしまったとき、新幹線のホーム行きの長蛇のエスカレータ最後尾につけたとき、それぞれいやな諦念がじわとからだじゅうをみたした)。

車内では舞城王太郎阿修羅ガール』(2003)の末尾に収められた短篇をのぞく本編を最後まで読み切る。おもしろかった。ふたつしか付箋を貼らなかったのだが、読みおえてその少なさにびっくりするくらいたのしんで読んだ。森の怖さ! 貼った箇所のは以下のふたつ。

ガバイゾーな二崎。シェチュネ〜。シェチュネ〜よホント。もうこれからどんな顔して学校来ていいんだか判んねーだろなーの二崎。シェチュネ〜。

おじさんの名前は吉羽孝明。おばさんの名前は吉羽沙耶香。おじさんとおばさんの息子は三人いて名前は真一、浩二、雄三。三人は三つ子ちゃんで、グルグル魔人に殺されて首と両手両足を切られてバラバラにされて多摩川の河川敷にまとめて捨てられていたのだ。

前者の「シェチュネ〜」という語のもつティーンの言語感。時代を超えても「わかる」となり、こうしたディティールの抽出がリアリティを形成するのだ!と貼った(貼ったときは「わかる」までしか思っていない、リアリティ云々はいまネツゾーした部分である)。後者は前触れなく開示される人物の紹介で、こうした箇所はほかにもあったのだが、すぐには見当たらなかったのでここだけに貼った。後半にでてくる要素を、前半に明らかな異物として、あるいは自然な感じで登場させる仕草をおもしろく思って貼ったのだった。ほか、地獄めぐりの際のデカ字による直接的なメッセージもグッときたポイント。単純といえば単純なしかけなのに、かなり心をゆさぶられた。

土砂降りのなか帰宅。冷蔵庫にあった肉の煮込みをレンチンし、ご飯を入れて食べる。たまった洗濯物を洗濯機のなかにぶちこむ。シャワーを浴びるついでに帽子やかばん類を手洗いする。明日のライドに備えて留守中に届いていたギア類を整備する。よくねむる。