げ/き/て/き/精神滅亡領域

ザ・スマイルというバンドのMVがおすすめにあらわれ、手の甲から何かが生えているクレイアニメっぽいサムネにつられて再生したところ、トム・ヨークみたいな声が流れてきたのでへえと思って聴いていたらほんとにトム・ヨークだった。また、アニメの質感が観たい映画の作風に似ているなとながめていたが、同じ監督だった。クリストバル・レオン×ホアキン・コシーニャ。『ザ・ウルフ・ハウス』、日本でも公開してくれ!

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しごとにおける夜遅くのやりとり、よくしった間柄でない場合のその塩梅。基本的には向こうにあわせているが、日付の変わり目あたりでラリーをしていると「不健康」だなと思う。すくなくともそんな労働環境が「蔓延」している社会よりは、していない社会のほうがいい。「夜型人間どうしの幸福な進行」とかならぜんぜんいいのだけれども。

夜、豚バラと長芋と人参の煮っ転がしねぎ味噌味。うまい。

ゆーちゅーぶでゲーム実況を観る時間が減り、代わりにMリーグの切り抜きばかりを再生している。だから先日天鳳をひさびさにひらいたのだった。

わたしの書いた言葉が、わたしと遠く離れたところで生きていることのうれしさ。

搾取がつらい。

あたまとしりだけ読んでだいぶ放置していたカミール・パーリア『セックス、アート、アメリカンカルチャー』(1995)を読みすすめる。昨今の炎上を相対化する処方箋になるのでは?と期待しているのだが、どうか。グレーゾーンをせばめるな!という主張(だとわたしが勝手に解釈している)はほんとにそう、と思う。なんでも法制化したり明文化すりゃいいと思ってる「リベラル(リベラル?!)」はマジでクソだ。

そんなフェミニストたちの単純化しすぎた心理を示すよい例が、最近のデート・レイプ論争でかならず引きあいにだされる「『ノー』はつねに『ノー』である」という決まり文句だ。ガールスカウトじゃあるまいし。昔もいまも、これから先もずっと、「ノー」はいつだって危険をはらんだ魅惑的な求愛の儀式の一部であり、セックスと誘惑につきものの台詞である。

「機微」が死ぬ時代なのか? フェミニズムスターリニズムの尖兵であるとかつて外山恒一が喝破していたが、それはあながちまちがいではないよなとさいきんは思うようになってきた。とはいえフェミニズムフェミニズムで大事だ、と思ってしまうのが日和見なわたしの現在である。

何の記事かはわすれたが、さいきんヤフコメで「録画機能つきのアイウェアをみんなが着用してつねにドラレコ状態にしないと(治安維持のためには)あかんかもね」みたいな意見がトップにあがっているのを見かけ、なんちゅーディストピアだよと思った。コロナをめぐってのもろもろを見ていてもそう感じるのだけれど、「自由」は「安心」や「安全」なんかよりだいぶどうでもいいものとしてとらえられている。

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こういうこと、いまはもうこんなにアジる元気もない



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ダンスール6話。バンダナ先生が子安!ってことぐらいしか書くことがない。「1話」になるつくりなのか?とハテナをあたまに浮かべながら観ていた。つづく『じゃんたま★PONG』が麻雀打たずにソロキャンしておわるおふざけ回だった印象のほうがでかい。

ワークワーク。つらいつらい。

ガサラキ9-10話。9話、背景、陰影、エフェクト。バキバキに冴え渡っていた。ディティールにリキを入れるというのはこういうことだ。戦闘はないが、豪和とイシュタルの駆け引きが生むサスペンスがおもしろい。脚本・小中千昭を見、ウム!となった。10話にはいよいよ骨嵬の戦闘シーン。生物的な駆動音がまずヤバい。暴走エヴァ的な肉感、実験演習での肉体へのインジェクションも相まって、生々しさが浮きでた回だった。

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おすすめにでてきたキュアショコラの変身バンク、めちゃくちゃカッコいい。全シリーズを通してもだいぶ上位に来るのではないか(わたしは単独変身をまだ全員分観てすらいないが)。本編を観るのがいつになるのかわからないが、、ところでシリーズのなかでプリアラの動画がずば抜けて再生数が多いのはケモナー効果なのだろうか?

入稿エラーが連続し、寿命が削り取られる。鬼のような気疲れ。胃がめちゃくちゃ痛い。サポートセンターとやりとりしているとあみ子(『まじめな会社員』)のことを思いだす。返信するたびに相手が変わる謎。めんどうな客だと思われているのだろうか。エラーは単なる先方の指示の見落としで、ぶじ落着する。こころはまったくぶじじゃないので休息日にする。なんたる弱さ。