慢性フレームの耐久構造を裏返すことによって該当ページを破ることができます

NNNドキュメントの「おいてけぼり~9060家族~」という、90代の父と50代のひきこもりの娘(同じくひきこもりの60代兄もいる)の映像をYouTubeで公開されている部分だけ観る。テロップで表示されたひきこもりの定義(1自室からほとんど出ない 、2自室からは出るが、家からは出ない、3近所のコンビニなどには出かける、4趣味の用事のときだけ外出する、のいずれかを回答し、かつ、その状態となって6か月以上経つと回答した者を「広義のひきこもり群」と定義:厚生労働省「『ひきこもり』の定義など」より)がいまのわたしの状態にも適合しているので、まったき自分ごととしてながめた。

ワークワークワーク。はたして大丈夫か?と懸念していたワークのうちのひとつがぶじ落着する。べつのひとつがポシャる。やりたかったワークなのでざんねんだが、気ぜわしさは多少減る。これまで停滞していたものをすすめられそう。

明け方までワークし、作業能率が落ちてきたのでチーズトーストを食べながら磯光雄『地球外少年少女』4-最終6話。5話の前半まですこぶるおもしろかった。シャア的「テロリスト」として立ち回る際の伊瀬茉莉也(那沙ではなく)の芝居がめちゃくちゃよかった。クレジットを見て、キュアレモネードじゃん!となった。4話での「美衣奈の手のなかの登矢と博士」というカットも、その長さもあって印象的だった。これはエピローグの展開につながるものとしてインサートされているのか? 自身の相棒AIに「ダークネスキラー」と名づける登矢くんもかわいかった。キャラにエロスがある。

5話の後半、つまりはこれまで後景に退いていた心葉が前面に迫りだしてからがあまり乗り切れなかった。台詞の比重が、その意味の質量が、急におおきくなるのに対して、演出がついていけていないのではと思った。意味が巨大化するというのは、陰謀論の逆である。陰謀論は意味を矮小化する。この世で起きることすべてをひとつの図式のなかに押しこめる。作中では「運命」という言葉でも名指されるこの「フレーム」を、突破せんとするのが終盤の物語の核だ。ブライトとダークが、彗星とあんしんが、心葉と登矢が、そして彼らとセブンが「フレーム融合」する。異なるパースペクティブをもつ存在同士が、出会い、衝突し、理解しあうのは、地球人と地球外の少年少女が宇宙ステーションで対面するストーリーと合致する。

「人類」と「人間」の差(「類と個」と言い換えてもいいだろう)をめぐる思弁劇はつづく最終6話でも展開されるのだが、そちらは5話ほどには気にならなかった。最終話補正? それとも5話というステップがあったから? あるいは演出のスケールもデカくなっていたから? 途中挟まれるバンジー顔芸や蘇生配信といったギミックはおもしろかった。「映像の時代」だ。終盤の圧縮具合に、本作は30分・全6回のスケールなのか?とは思った。そもそも時勢を踏まえた変な期待がよくなかったのかもしれない。

プリキュア放映延期の報を見、ショックを受ける。不正アクセスはこんな影響ももたらすのかといまさらながら思う。


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ライリー・スターンズ『恐怖のセンセイ』(2019)。よかった。好きな映画だった。以下はついしようとしてしなかったつい(マジで何もついできなくなっている)。

恐怖のセンセイ、ホモソ空間から弾かれるナヨい男が、暴漢による襲撃をきっかけに自衛の技術をもとめて「男らしさ」を説く空手道場に入門し、黒帯のセンセイから「AORでなくメタルを聴け!」「ダックスフントでなくシェパードを飼え!」と指導されるマチズモおちょくりヘンテコ暴力映画でラブでした◎

終末期から奇跡的に回復した人間が自身のクローンと対決するという最新作『デュアル』がハネケやギリシャの奇妙な波の影響下にあると評されていたのをきっかけに観たのですが、だいぶ好きな作風(なお本作にハネケ感はない)。原題は『The Art of Self-Defence』。ライリー・スターンズ、おぼえました

「空手は男のもの」「女は男になれない」というセクシズムの権化・センセイのキャラクターがだいぶ冴えていた。道場における唯一の女性であり、「自制は弱さ」と説くアンナの存在も効いていて、なかでも彼女の黒帯昇格をめぐる昇格式シーンのカット割の緊張感は特筆すべきものがあった。

上で触れた作品設定もそうなのだが、とにかくディティールがおもしろく、主人公・ケイシーが仕事場で発見したエロ雑誌を律儀にコピーして、自宅でいざ手淫を致す際のシーンのみじかさだったり、ロッカールームにおける足の開きと権力関係(マンスプレッディング!)だったり、道場に飾ってあるいまは亡き大師範の帯が「虹色」だったりと、いちいち耳目を惹かれた。なかでもケイシーの愛犬がダックスフントからシェパードに変わっている「ギャグ」は、非道であるとはいえだいぶわらえた。EDクレジットで退場した犬が大師範と並んで再登場するのもいい。ほか、道場生たちが組み手をしている場面のズーム&スローを用いた演出も、MV感とともに悪ふざけの様相がほの見えておもしろかった。