グリコーゲン・托卵

デパプリ5話。だいぶいい。なかよくなりはじめたひとらがおたがいを「はじめて下の名前で呼ぶ」ことの尊さ。われわれ(つくり手-受け手)はすでにふたりはプリキュア第8話をしっている。なぎさとほのかという素地と、目の前でくりひろげられるゆいとここねのやりとりが、観るものの心をオープンさせ、ぱむぱむとサンドする。(能登麻美子がCVを担当するような)「ひっこみ思案」はわたしの苦手なキャラクターの類型なのだが、ふしぎとここねに対しては抵抗感が湧かない。プリティホリックで発動する早口オタク語りなどに愛らしさを感じるから? 単純にウジウジしていないからか。ふたりを見守るマリちゃんも相変わらずサイコーである。

一方で相変わらずまずい飯を食いつづけるらんちゃん、その蓄積が初変身時にだいばくはつするのだろうか。そして生徒会長(?)のあのすがたは……(本作における「制服の着崩し」はその人物の重要度を示すおおきな記号である)。レシピッピ強奪タイミングにおける「休日」をジェントルーは強調していたが、それはもしやたくみくんの今後にも関わってくるのでは?と思った。絵コンテ・カトキハジメにはやっぱりわらう。ここね弾幕がよかった。脚本が5話にしてはじめてシリーズ構成の手を離れ、担当は金子香織里。ヒープリでも脚本を複数回執筆している。

バイス25話。ついにパパさんがライダーに!の衝撃。ギフがまさに五十嵐三兄弟妹の義父になる。ヒロミさん退場後(ヒロミ回も彼の魅力でなんとかもっていた感じがあった)、ちょっと視聴のモチベーションが薄れていたのだが、またおもしろくなってきてよかった。俄然ママさんのバックグラウンドが気になってくる。

ドンブラザーズ1話。ゼイリブじゃん!と盛り上がっているうちにおわるたのしげなはじまりはじまり。おやくそくがあるフォーマットならではの展開のスピード感がいい。たのしさの質がゼンカイジャーとはまたちがっていて、そこがよかった。前作が「わるふざけ」だとすれば、本作は「まじめさがふざけに転化する」スタイル? 物語の主軸がレッドではなくイエローなのもおもしろかった。

妹の転職活動の手伝いをする。資格や職務経歴を見るに、わたしのしらないうちにいろいろやっているんだなと感慨深くなる。ぶじによい職場を見つけられるとよい。

何も為せないまま20代がおわってしまった。年齢に過剰な意味を見とってしまう呪い。エイジズム的な発想がここに紐づいている。


f:id:seimeikatsudou:20220323180200p:plain
481

ワーキングマンズデス。

夜、スープ水餃子、鶏軟骨揚げかつぶしチーズ味。うまい。

水曜日のダウンタウンのbgmでファクトリーフロアが流れていておっ、となった。

ワークを1件片づけ、妹が買ってきてくれたケーキを食べながら、ようやく『〜雪のプリンセスと奇跡の指輪』を観る。まずブルーレイの画質のよさにびびる。変身シーンの背景がワシャワシャにならないことの感動。歴代映画のなかでも本作の変身シーンは屈指の長大さを誇っているので、余計によろこびがあった。あらためて観なおしてみてもめちゃくちゃラブな作品だったが、やっぱり映画館補正はだいぶあったのではと思った。劇場とは比べものにならないちいさな画面とショボい音響のおかげで、どうしても作画の弱さが目についてしまった。とはいえ、初見では気づかなかったキャラクターの細かな表情・芝居だったり、カメオ出演だったりを発見するのは愉快だった。

プーチンを「怪物」だの「小悪魔」だの、「われわれ」と分離された「異物」として呼びあらわそうとするヴェテランのロシア文学者を見かけ、落胆する。文学はそのようにして呼ばれてしまうようなにんげんを救うものではなかったのか。斉藤斎藤が宅間守に寄せて詠んだ「宗教も文学も特に拾わない匙を医学が投げる夕暮れ」を思いだした。

まあまあ好意を抱いていたミュージシャンや俳優が陰謀論的な主張を大っぴらにしはじめているのを目にして萎えるのと同時に、いよいよ『地球外少年少女』は傑作にな(る)のではないか?と期待がふくらむのを感じた。時代精神を作品に反映させられることのつよさ。いまやっているワークに見通しがついたらつづきを観たい。

ハードワーク。2件おわる。作業がハードというより、内容がハード。感化されやすいにんげんなので、胃がシクシク痛んだ。夜食に納豆チーズオムレツ丼を食べ、就寝。