cryptic crying

報道を見ていると泣けてくる。go fuck yourself. ゼレンスキーの自国民へのメッセージはチリのアジェンデのことを思いだしてしまう。写美でも展示をしていたロシアの写真家エリザベス・ハウストが、収容された警察車両や留置所(?)のなかから写真と映像をインスタグラムにあっぷしていた。彼女はわたしと同年の生まれだ。

西尾大介ふたりはプリキュア』(2004)13-16話。切断装置としての「電車」再び。今回はなぎさとほのかではなく、ほのかとキリヤくんを引き裂く装置として機能していた。科学部の研究発表会がストーリーの主軸としてあり、いよいよベローネ女学院の出番という場面で、会場スタッフに扮したポイズニーを本格登場前にさりげなくここにいるよと示すフレーミングがすばらしかった。研究の成果物である雷発生装置を優秀な部員にあやかって「ほのか1号」とすることが話の前半で示され、発表の最後にそれを衆目の前で明かすくだりがあったが、じっさいにはその名付け親であり、部内でもっともはりきっていたユリコの名が装置に掲げてあるという展開に涙。確実に涙腺がゆるんでいる。

14話にはなぎさたちの同級生扮するにせプリキュアが登場し、その変身理由が「子供たちに夢を見せる」というハトキャのクリスマス回のようなエピソードで(制作年的には構図は逆である)、歴史の脈を感じた。今回はそんな彼女たちがポイズニーに操られるかたちで敵として立ちはだかるのだが、自殺を試みるというだいぶ過激な戦法を取るので驚いた。同時に登場する重機ザケンナーとはちがって彼女たちはクラスメイトであり、ブラックやホワイトは高所から落下しようとするにせプリキュアを身を張って助けざるを得ないというわけだ。だいぶハードな作劇だ。青山充一人原画回でもあり、クレジットを見て思わずわらってしまった。すごすぎ。

15話での鎧武者とのバトルは作画がいつもより凝ったものだった。「湖に伝わる伝説」の本編とは異なる作画タッチもおもしろい。影が薄めだったなぎさ父が活躍する回でもあるが、ラストの親父ギャグラッシュから、旅館に感謝を告げる真面目セリフへのスムーズな移行が冴えていた。編集の妙。16話は学園のマドンナ小田島先輩が分裂するギャグテイストのつよい回。マドンナとしての矜恃をもち、これまで自身の欲望をひた隠しにしてきた彼女が、ザケンナーに憑依されることによって好き勝手やる(とは言っても、スケボーをするとか、ポップコーンを食べるとか、はないちもんめをするとか、かわいらしいものばかりである)さまが愉快だった。無数の小田島先輩のなかから本物を見分けるための対処法が、顔面に落書きをするというものなのがいい。

幾原邦彦少女革命ウテナ』(1997)31-34話。終盤ということもあって胃もたれするような濃さ。最後まで観きるか?と迷ったがさきのばすことにした。

31話、冬芽が七実に「(シャワーに)いっしょに入るかい?」といったあとの間! 観る者に違和感さえ与える沈黙の時間の強度。書いていてハネケの黒みのことを思いだした。脱衣所でも間が効果的に使用されるが、さいしょのインパクトには劣る。ふたりが本当の兄妹でないことが明かされるシーンの「光さす庭」のアレンジBGMがめちゃくちゃよかった。ウテナのなかではめずらしいたたかわない回だが、代わりに「明示」される暁生とアンシーの関係の描写がきょうれつ。

32話も七実回。彼女の眼前で冬芽と茎子をくっつける悪意がすごい。ノコギリを手にもつアンシーと、体育座りをする七実を一画面に同居させる「画力(えぢから)」。七実(ここには誰の名前が入ってもよい)という個人の世界を打ち破るものとしての「世界の果て」を考えたとき、UFOがギミックとして登場するのは「異世界」の象徴としてなのか?といまさらながら思い至った。「わたしの場所がない!」と嘆く七実のシーンで流れるエレベータの到着音がキレていた。彼女はどの階にも降りずにエレベータにとどまりつづけているのである。どんでんしていた前話を、またもどんでんさせるラストにもしびれた。

33話はまさかの3度目(!)の総集編。なのに飽きないのはその絵コンテ・演出の冴えわたりゆえである。暁生の愛車爆走から、西園寺の「何なんだ!?」に接続するカットさばきがすさまじかった(しかもここではじめてこの回が総集編であることがわかるのである!)。いろいろなものごとを視聴者に明かす装置としてラジオ番組を用いたクイズ形式が導入されているが、これはいったいどこが発端なのだろうか。永遠としての「美しい思いで」。ふりかえって見れば、皆、それを胸のうちに抱え、それにふりまわされて決闘場へと歩みをすすめている。「王子様」との出会いという「奇跡」を信じる少年少女たち……。この世界を革命するために、それはひとつの巨大な転換装置として駆動するだろう。明日のお弁当をどうしようかと迷う描写によって挿入前の逡巡をあらわす演出はマジでヤバの域。撃ち抜かれた。絵コンテ・橋本カツヨ、演出・高橋亨

34話は影絵少女がはじめて実体化する回。前回に引き続き、これまでひた隠しにされてきたアンシーの過去が演劇のギミックをつかって描写される。演劇(劇中劇)の最中、カット割で客席を映し、誰が誰に応対するのかをしらせるテクが美しかった。ウテナと王子の出会いまでをも開示する超展開で、いよいよクライマックス感がでてきた。写真撮影をする場面、ウテナの肩に手をのせようとした暁生を、「だめよ、チュチュ」とカメラのレンズを覗きこむチュチュを制するかたちで拒絶したアンシーが、チュチュを自身の肩にのせてもどってきた際にふたりのあいだに割りこむのがとてもよかった。こうやって関係性を描くのだと思いしらされる。絵コンテ・佐藤順一、演出・桜美かつし


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夜、豆腐とねぎの味噌汁、鶏軟骨と厚揚げブロッコリのオイマヨ炒め。つらい。

両親のコミュニケーションが不快。苦痛。家父長制的なやりとりと言い換えてもいい。こんなものに精神を左右されなきゃいけないことがひじょうにきびしい。祖母がそこに巻きこまれているのもつらい。妹がいなかったらいまよりもだいぶおわっていたと思う。

隣国が戦争をしているのに、テレビが通常通りバラエティをやっているのに違和感がある。わたしが生まれる前、湾岸戦争の頃からこうだったのだろうか? あるいはベトナム戦争では? 報道がインターネットの速度にまったく追いついていないのもどうなのか。速度ばかりがよいとは思わないが、、