口にだしたことのない言葉を耳に入れる

デパプリ3話。生人参をそのままかじってゆくゆいのワイルドさ。ようやく本格的に登場したパムパムがワンダフルココナッツパイ式のロングネームなのにわらう。髪の毛のように自身の耳をぴょこんと翻す「そんなの当然!」的しぐさのかわいさ。成長コメコメのかわいさもあり、今シリーズは妖精がラブいなと思った(くるるんももちろんラブだったが)。

「味が変わった?!」がさっそくあっさり描写になっていたのはよかった。らんらんが「おえっ」(じっさいは「ほえっ」)とえずいていたのも変化としてうれしい。戦闘後、変身を解かずにお姫様抱っこでふわを家まで送るプレシャスのシーンもよかった。「憧れ」のまなざしがそこに見えた。

ゆい家の食事シーンを映して「今日もにぎやかで楽しい食卓になったわね」ナレを被せた直後の、ひとりで食事するふわのカット遷移。作風にたがう残酷な対比。すばらしい。絵コンテは貝澤幸男。ウバウゾーの体内でプレシャスが疾走する際にしゃかりきな分裂描写があったが、そうした場面に彼のテイストがでていたのだなとクレジットを見て思いかえした。

バイス23話。オセロのようにコロコロ盤面が変わってゆくのが本作の魅力だが、この軽さはいったいどのようにとらえられているのだろうか。時代感覚が気になる。

ゼンカイジャー48話。通して観ていたら相当アツい展開なのだろうなという最終回直前回。ふざけてばかりいた変身名乗りがここにきてストレートに為されるのは燃える。

夜、あぶらげの味噌汁、レタスとチーズのサラダをかつぶしマヨ+酢醤油で。ほか、母のつくった牛丼のつゆに牛と玉ねぎを追加して食べる。うまい。

トロプリ映画のブルーレイが届く。注文してから気づいたが、アニメの円盤を買うのはこれがはじめてだった。はやく再見したいがワークに専念する。

夜、ハムと玉ねぎのトマトスープ、厚揚げと豚肉とほうれん草の卵炒め、ブルダック餃子。あまり辛くないらしい、という妹の言を信じて大量に焼いたが、きちんと辛かった。胃が熱をもっている。


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ここのところいろんなものが完成し、しごともすこし落ち着いたたので、ひさびさにSNSでガンガン告知を打った。そうすると即座に反応がかえってくるわけだが、おれはこのうれしさ、よろこびがおそろしいと思った。この渦中にかんたんにとりこまれてしまうと思った。だってたのしい。日々のむなしさが埋まってしまうような気さえする。

同時に、告知しか発信しないSNSってマジで「広告」そのものじゃないかと思ってぞっとする。とはいえ、どんな無駄話もその範疇にとりこんでしまうのがSNSという言説(イメージ含む)空間ともいえる。無邪気に何かを言うことのできる場所なんて、もはや(そもそも?)存在しないのか。

さいきんめまいがすごい。寝返りを打つたびにぐおぐおと世界がまわり、吐き気が催される。体を起こしている折にはあまり発生しないが、いざ寝ようとベッドに寝転がるとだいぶつらい波が押し寄せてくる。

絓秀実・渡部直己『それでも作家になりたい人のためのブックガイド』(1993)読みおえる。作家になるために役に立つのかはしらないが、日本文学史パースペクティブの勘所(?)をつかむことができ(たような気がし)てたのしかった。以前にも触れたが、たとえば日本文学史における学閥についての絓の以下のような記述。

近代日本文学というのは、おおむね、東大、早稲田、慶應の「学閥」でやってきたと言える(…)戦後はこの体制がさらに強化された(…)戦後派や無頼派作家、第三の新人の学歴を見てみれば、東大、早稲田、慶應以外はほとんど作家になれなかった状況があったことがわかる(…)村上龍が武蔵野美大(それも中退)から出てああいう人気作家になってしまうのはかなり画期的なことだと思いますね。

また、93年当時のシーンの状況も見えておもしろかった。吉本ばなながしきりに登場するが、2022年現在、彼女はそのような扱いを受ける作家なのか?とか、ヌーヴォー・ロマンが入手しづらい時代性とか(作中にも言及のあるビュトール『心変わり』の岩波文庫入りは2005、ロブ=グリエが講談社学芸文庫入りするのも90年代後期を待たねばならない)。そのまま絓秀実『JUNKの逆襲』(2003)に移行する。