つかないだろう、決着は

藤本タツキファイアパンチ』(2016-2018)最終8巻まで。きょうれつな漫画だ。オールスターズメモリーズといい、今年はすばらしい作品たちで幕を開けることができており、幸先がよい。類似と反転の構造を用いた「反復」の作法は、モチーフである「映画」とひじょうに相性がよく、なおかつそこに生じるズレとなぞりのたのしさは先へ先へと頁をめくらせる推進力ともなる。ドロヘドロのチダルマ感のあるトガタや、沙村広明感にあふれるネネトの顔などに先達からのより直接的な影響を感じとったり、「演技」に欠かすことのできない「ペルソナ」としての顔面を切り落とすアクションの導入に舌を巻いたり、他者の到来と「想像力-フィクション」をむすびつけるラストの展開に殴られたりと、隅々までたのしんだ。「あなたがいてくれたら」というのは、何かを生みだすにんげんを突きうごかす強力な欲望である。もっと長々と書くつもりだったが、8巻というヴォリュームに対峙するパワーと時間がなかった。

生麺を茹で、液体スープに湯を注ぎ、チャーシューとネギとメンマを載せて醤油ラーメンを食べる。ネギが辛く、なみだがでる。何時間もまえにすでに食べおえた両親にこれ辛くない?と同意をもとめたが、1ミリの共感も得られず、わたしはネギに弱いのかもしれないと思った。好きなのに、かなしい。食べたあと、しばらく胃が熱を発していた。

敷毛布を敷いたら寝床の快適度が倍増した。掛毛布もアップをはじめている。

書初め舞城王太郎煙か土か食い物』(2001)。まだ冒頭の数十頁しか読んでいないが、すかすかのブロック塀をすさまじい速度でどんどん積み上げていくような紛れもない舞城文体がそこにあり、つまりそれはわたしのちかしい友人たちにも流れているものであり、こうしてデビュー作を読むことで源流に触れたような気分になった。ここで「すかすか」と言いあらわしているのはたとえば以下のような記述。

 犯人は空っぽの棺桶を《原点》に埋めたのだ。
 俺は深く納得する。正しくその通り。螺旋のグラフは理論上原点を含まないのだ。螺旋は原点に非常に近くなる。しかし原点には届かない。だから原点に埋められた棺桶には何も入っていない。埋められてはいるが何もないんだ。無くて然るべきなんだ。

この「だから」の強引さ。「然るべきなんだ」のたたみかけ。空虚なロジックと言ってもいいが、だが、それによって構築される建造物には強度が備わっているのがおもしろい。舞城は2020年に読んだ『淵の王』(2015、おもしろすぎてひと晩で読んでしまった)以来文庫や雑誌でちびちびと手をつけていて、友人Oのすすめにしたがって第2作『暗闇の中で子供』(2001)とともに本作を手に入れたのだった。


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貝澤幸男『映画 プリキュアラクルユニバース』(2019)。オールスターズメモリーズとは真反対にワーストだの駄作だの悪評ばかり目にしていたのだが、再生前に表示された監督の名を見て「え、ほんとに?」となり、観てみたらその名にたがわずちゃんとおもしろかった。フキダシやコマ割、くずし顔などをもちいたコミック調の貝澤演出が全編にわたって冴えており、プリアラ映画のようなコミカルものとしてずいぶんたのしく観た。なんども引き合いにだしてあれだが、黒沢清『クリーピー 偽りの隣人』(2016)をたのしく観れるひとは本作もきっとじゅうにぶんにたのしむことができるだろう。このような世評との乖離(むろん、たのしんで観ているひとの声も目にしている)を通して強化されるのは、やはり物語ではなく画にこそ自身が魅せられているという認識である。わたしが小説を読んでいて最大の愉悦をおぼえるのは、ストーリーではなく文体を通してであるのと同様に、映画においてもそうなのだ。だから、本作やクリーピーをおもしろくないと切るひととは、たぶん映画の話をしてもたのしくなることはない。

オープニングがテレビアニメ風なのがまず新鮮だった。ミラクルライトをつくる工場という舞台設定も、プリキュア映画というフォーマットを更新するすばらしいチョイス。作中で示される人の想いが光になるというギミックは、まさしく観客の「応援」に接続される。画面内にフレームをつくることで「みんなも応援」というメタ演出がなされるのもおもしろい。雲のなかをすすむプリキュアたちを応援する場面では、横スクロールゲームのような画面設計が登場し、まだまだ新しい応援のだしかた/魅せかたがあるのだと感動した。さらにはミラクルライトならぬ「ダークライト」をつかった敵への応援シーンもあり、すごい!と思った。goプリ映画でも使用されていた応援マーク演出が再登場するが、それは流石に余計に思われた。エモーショナルさを高める妖精たちからの呼びかけはさておき、わざわざ記号で示さないでくれ、子供を信頼してくれ!というきもちになる。応援まわりで言うと、「最後のミラクルライト」という形容が作中のライトに対してなされるが、では観客が持っているものは?となるのでちょっと不用意ではないかと思った。

ほか、オールスターズ作品では先輩後輩プリキュアの関係性が見どころのひとつになるが、本作では先輩プリキュアの活躍がひじょうにカッコよく演出されていて、高まるものがあった。プリキュアたちが一人ひとり重なっていく変身シーンも、これまで見たことのない手法で興味深く観た。バトルシーンのなかには庵野秀明トップをねらえ!』(1988)の宇宙怪獣挟み撃ち(つまりはイデオンのゲル結界)みたいな場面もあり、オッとなった。宇宙大魔王というボスのネーミングもそうした時代に依拠している感じがあってよかった。その宇宙大魔王が地球にも蛇のような触手をのばした際、「見たことのない天気です。全国蛇模様です」とTVキャスターにまじめに言わせているのがおかしかった。プリキュアを捕獲しようと雑兵が集まってくるシーンで、スイーツの入っていたパフェグラスをすべてたおして危機を演出するさまもすぐれていた。