天ちゃんの着脹れ

 ちいさな頃からそうされていたのだろうと思わせる身の熟しで跳ねて、指の先を枝垂れのふくらみに引っ掛ける。童話の挿絵めいた所作だと、画面から目を離してから考えた。だから、そう書いた。吾妻はこれを読んでどう思うか。そこまで考えた。だからといって、彼がこの文を読んで思い巡らす事柄に影響を与えることはできないし、彼の感想を事前に想像することで、書かれたものが変形するほどのつよい念もなかった。ペン先から漏れでるインクの滲みが句点の輪の内側をつぶした。交代まではまだ時間の余裕があったので、ペンを置いてノートを閉じ、ちいさなフレームのなかで跳びまわる彼にふたたび目を遣った。運動靴が地面を蹴るたびに黒のジャンパーの裾がふわりとめくれあがり、裏地の芥子色が「子供のはつらつさ」を演出しているように見えた。そのことは思うだけで済ませ、文字としては書きのこさなかった。
 扉を叩く音がして、反射的に声で返事をした。同時に椅子から立ち上がって、ドアの把手をつかめる距離まで身をうごかした。この向こうに吾妻の顔がある。鍵を開け、扉を開くと、その想像の位置に吾妻の顔があらわれる。
「髪を切ったのか」
「邪魔でね」
 部屋に立ち入り、薄手のネイビーのブルゾンを脱ぎながら、短髪になった彼は言った。吾妻の後につづいてもといた場所とは反対側の椅子を目指すわたしの瞳には、さっぱりと刈り上げられたうなじが映った。そこに彼自身の左手がのびてきて、毛流れに逆らうようにして四つぞろえの指が頭頂部へと運ばれていくさまも見た。サパパパパと、毛髪の立てる音がここまできこえてきそうだった。机をはさんで椅子に座り、たがいに向きあう。
「様子は」
「変わりないさ」
「うん」
 吾妻はうなずいて、机上のモニタを見た。画面のなかの彼は、いまだに木のそばでぴょんぴょこと身を浮かせ、枝先にふくらんだつぼみと戯れている。
「太ったか?」
 眉を寄せた吾妻の表情はけわしさをたたえていたが、それに比して語調はひどく軽かった。そこに容姿を貶す悪意は感じられなかったが、その感じられなかったという実感が、語のきりひらいた傷口をさらにおおきくもするのだとも思った。
「着膨れだろう」
「そうか」
 関心はそこで切れて、吾妻は椅子の背もたれに身をぐったりとだらけさせた。彼の沈んだ上半身を一瞥して、向田が長官の声音を真似して「姿勢を正しなさい」といっていたのを思いだした。だから同じ言葉を話した。吾妻はわらった。向田に対して見せるのと同様の笑顔で、鼻から短い息を噴きだした。
「今日長官は?」
「見ていない。式典の準備にかかりきりなんだろう」
「そうか」
 壁にかけられた時計を見ると、終業の時間だった。これから8時間は吾妻が観察官の役目を果たし、記録をノートにとる。そのつぎは向田がやってきて、同じことをする。自身の書いた箇所から数頁ぶん書き加えられたノートをながめ、ふたたび行を書き連ねてゆく。そのくりかえし。まるでロボットだが、その呼称は跳ねるのに飽きていまは幹を背にしてしゃがんでいる彼にこそふさわしい。しかし、これは書かなかった。書けなかった。
「じゃ」
「おつかれ」
 扉が閉まると、内側から鍵が閉められ、誰も入ることができなくなる。観察室に足を踏み入れることができるのは、長官を含めて四人しかいなかった。週にいちど、ノートだけが保護者に手渡され、その時点から四十八時間が休息時間になる。以前、その間の記録は誰がつけるのかと長官に聞いたことがある。すぐさま、そんな心配は不要であると雉のような高い声で撥ねつけられた。その会話をしたのが、この通路である。これは記録されない。