ミャーの存命を乳房に刺青する

明確に寒い。居間に入ったところで意識せずに「寒い」と言葉が口からでたことで、それをしった。出勤する妹を見送る。

何も浮かばんなあと思いあぐねていたテキストにいざとりかかると、手が勝手にアイデアを引きこみ、スラスラ、とまではいかなかったがしまいまで書けてしまった。この体験に寄りかかるのは危険だが、行為のさなかにこそ何かが生まれることは信じたい。事前に書く地図を否定するわけではないが、現地の実感こそがわたしをうごかす指針になる。

幾原邦彦少女革命ウテナ』(1997)4-7話。4話、決闘直前をあたまにもってきて、そこから時系列を遡ってそこに至るまでを描く、それも次の5話まで引っ張るという構成にしてやられる。5-6話ではただでさえ秀でていたユーモアの炸裂が冴え渡っており、「まあ姫宮アンシー筆箱にでんでん虫入れてる作戦」から始まる七実の悪巧みの数々に大いにわらわせられた(「まあ姫宮アンシーって机の中に青大将飼ってる変な子だわ作戦」→「何と姫宮アンシークローゼットの中に生タコ飼ってる変な子だわ作戦」と展開し、そのすべてが失敗する、作戦を発声する際のイントネーションまでもがおもしろい)。影絵少女の寸劇に「かしらかしら、でも頭」とくだらないダジャレが織り交ぜられていたり、突然校内に「暴れ馬」が登場し、それが「暴れ牛」、「暴れカンガルー」と変転していったりするのもふざけていてよかった。西園寺がふところから交換日記をチラ見せしてアンシーとの関係性をこめて言い放つ「忍ぶ愛」の間もサイコーにすばらしかった。また、徹底的に否定していたものに敗れ、そもそもその否定の対象が呪いの元凶でもあったことが明かされる7話の話の展開には目を瞠った。同性愛が「普遍化」への度合いを深めているいまから見れば衝撃は薄まっているのかもしれないが、ファンのあいだでは「7話まで観て!」というのが通説となっているようで、その意味がよくわかった。それにしても1話あたりの密度、それも物量ではなく質に由来するものが毎話毎話ものすごくて圧倒される。

夜、レタスと豆腐の卵スープ、菊芋とベーコンとねぎのチーズカレー粉炒め。

安寧がほしいと思っている自分に気づく。わたしがしっているかつてのわたしは波乱こそをもとめていたはずで、丸まりを感じざるを得ない。精神の弱り。精神の衰えか。肉体だっておわっている。死んでる。ゾンビだ。いやだね!


f:id:seimeikatsudou:20211119004259j:plain
f:id:seimeikatsudou:20211119004313j:plain
排気口 / 菊地穂波企画公演『金曜日から』のフライヤーをつくりました、あらすじ含めコピーも書いています、よろしくお願いします、制作ノートのようなものも載っている詳細はこちらより


デヴィッド・リンチストレイト・ストーリー』(1999)。幕切れの美しさ。本作は弟が病気の兄に会いにいくロードムービーだが、まったくドラマチックでない再会の直後に、カメラを上に向けるという最低限の所作できょうれつなエモーションを炸裂させることに成功している。道中で偶然出会うひとびとに宿るあたたかなやさしさが、ラストシーンの素っ気なさを照らしだす熱源となって、つよくかがやいている。いい映画だ、と思った。が、好きな映画かと言われるとちょっとちがう。べつに嫌いなわけでもない。好きなシーンはたくさんあった。たとえば、兄が倒れたことをしらせる電話がかかってくるシーン。窓の表面を流れる雨の影が主人公・アルヴィンに覆いかぶさり、電話に応答する娘の声が画面外からうっすらと聴こえ、「不安」が視覚化されていた。娘の喋り・イントネーションのふつうでなさもひじょうによかった。「真っ当な道」をはずれた人物たちの、素朴な生活の手触りがそこにあった。

アルヴィンが芝刈り機に跨って旅立つシーンで、彼の友人である老夫たちと、まったく関係ないであろう犬たちが道におどりでるところもよかった。華々しくない画面の、明るい騒々しさ。横切るトラックによって起こされた風に帽子を飛ばされたアルヴィンが、同じことはにどもくりかえすまいと帽子を守る仕草もかわいらしかった。彼のマシンのそばを何台も通り過ぎていくトラックもそうだが、とにかく彼はまわりのものものに視線を向ける。そのさまがいちいち愛らしい。鹿との衝突事故を目撃する際の、彼の顔面に対するズームアップと、激突音のかさなるさまもよかった。衝突の場面はカメラに映さずに、それを目撃する男の顔と、音だけでその出来事を伝える。これは、第二次世界大戦を回想する際に、その語りに爆撃機の音だけを重ねる場面にも適用されていて、つよい効果を上げていた。

ほか、鹿肉を焼くアルヴィンの周囲に鹿の剥製がずらずらと立ちならぶシーンのばかばかしさがよかった。

夜、豚しゃぶ、きゃべつ餅。前者のだしがらである昆布を刻んで後者に入れたのだが、ベリナイスだった。きゃべつ餅とはわが郷土である福島が一地方に伝わる料理だそうだが昨晩母の口からその名を聞くまでは存在をしらず、たまたま材料があったのでこしらえたのだった。ちぎったものでも、千切りにしたものでも、とにかく好きなように切断したきゃべつを油を敷いたフライパンにならべ、顆粒だしと砂糖を適当にまぶし、その上に切り餅をのせ、醤油をまわしがけて弱火で炒め煮する。甘じょっぱい餅がまずいわけはないし、何よりたまたま入りこむことになった刻み昆布がひじょうによいしごとをしていた。

adobeの使用に支障がでるのがこわくてbig surのosアップデートを見送っていたら、いつの間にかさらに新しいmontereyというのがでていた。こうやってずっと好機をのがしつづけるのが人生。かなしすぎないか?

ネリーブレン、ユウブレン、ヒメブレンのロボット魂での立体化、マジでうれしい。人生で唯一買ったプラモ(未組立)がヒメブレンなのでこれは買ってしまうかもしれない。ブレンパワードはいちばん大好きなロボットアニメ。つまりは、エルゴプラクシーと並んで、五指に入るマイベストアニメ作品である。ほかはなんだろう、テクノライズFLCLあたりだろうか。ふりかえってみると、WOWOWアニメに好きなものが多いのかもしれない。妄想代理人とか。