その表明を黙ってやれ

会議がおわったあと、話にでてきたアリムラというひとのブログを読む。おもしろい。お気に入りに入れる。過去から順にぜんぶ読むことにする。

たまにやっているプチ断食明けであたまの回転がおわり、半日ほどぐったりする。断食するにしても、水ぐらいちゃんと飲もう、と思う。

夜、卵とザーサイのスープ、豚もやし。

明けがた、ついったから通知がきており、なぜだかはてなブログのマークがそこに表示されたのでなんだなんだここが炎上したのかとよく見ると、はてなブログの公式アカウントがこの僻地を紹介しているのだった。どんな経緯でここにたどり着き、どんな理由で該当の記事が選ばれたのかはしらないが、プロフィール文にある「公式アカウントではスタッフおすすめの記事をご紹介」の文字列を見て、何かしらがそこで伝わったのだとうれしいきもちになる。はてなダイアリーの頃から数えればブログを書きはじめてもう10年以上経っており、細々とした歩みでも通ってきた場所はけもの道くらいにはなるのだと思った。

夜、芋煮。牛肉と醤油で山形テイスト。味マルジュウという山形の出汁醤油をつかう。何も決めずにわたしがつくる場合は、味噌と醤油を混ぜることが多い。

いちどめのワクチンの予約をする。わたしはコロナの既感染者であり、いつ打つのか海外の文献なども見ながら(「読みながら」ほどしっかりは調べていない)タイミングをうかがっていたのだが、自治体が今月中に1回目の摂取を打ち切るつもりだと告知してきたので、それをきっかけに接種日を決めたのだった。日本ではとくに制限は設けていないようだが、海外では2ヶ月(フランス)、3ヶ月(イスラエル)、はたまた半年(ドイツ)はあけたほうがいいという主張もあり、それでも快癒して2ヶ月以上経っているのでまあいいかみたいな、そんな安易さでの決断。つぎの問題はワクチンを何回打つかで、アメリカやカナダやイスラエルなんかでは全員2回の方針なのに対して、ドイツやフランスなんかでは感染済みのひとはいちどでいいといっていて、まあこれもあとあと考えればよい、という後回しの魔女なのがわたしである。


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ドラえもん展福島県立美術館。母と妹と連れ立って行く。巡回展で、わたしはドラえもんが好きだし、開催されていた森美にもよく通っていたが、美術展としてとくに心を惹かれるものがなく、未見だった。とはいえ、アート難民(難民という言葉をこのようにして扱うな、という意見をかつて読んだことがある、わかる気がするが少しの反発もある、よりよいワードが思い浮かばなかったのでつかう)になっているいま、比較的近場の本展に足を運び、生身で美術に触れる機会を得られたのはよいことだった。もちろん商業主義的な企画なので、物足りなさはあるけれども。会田誠の《キセイノセイキ》は、小泉明郎ラバーとしてたのしかった。しりあがり寿の作品で、ばるさんがドラえもんの声を当てていたのもよかった。そういやついったでいってたなと思いだした。終盤に配されていた「若手作家」の人選は何が基準にされているんだろうか。ほか、常設で観た斎藤隆、津田一江、ジョン・スローンがよかった。アンドリュー・ワイエスの絵も複数あった。隣接する図書館にも行きたかったが、多数決で否決された。

藤原無雨『水と礫』をさいごまで。よかった。かつて慣れ親しんでいた児童文学の気配があり、それもまたたのしかった。軽い語り口で、重い雰囲気を醸す、そんなあつみをつくるこつこつとした手つきを感じた。

由実さんの部屋はクザーノの隣だった。一年も経たない内に男の子が生まれた。ふたりを叱る者は、誰もいなかった。

この時間の圧縮加減も魅力のひとつ。行から行へと渡る際の跳躍力が、要所要所で発揮されており、その距離が遠ければ遠いほど想像の余地が生みだされる。隙間と密のバランスが、風通りのよい堅牢さをこしらえる。

あんな素晴らしい酒はない。こんなウィスキー割なんて、あれと比べればらくだの小便だ。

砂漠の民が酒について語る場面、ここで「らくだの小便」という比喩がもちだされていて、それが強固なリアリティをつくる支えになっていると思った。そのひとが送る生活のなかから言葉がくりだされている、と読者に思わせてくれるワードの選出。機動戦士Zガンダムで、身を乗りだしてきたファに対してカミーユが放った「いきなりアップになるな!」を思いだした。