あなたと出会えないまま人生がおわる

海外にものを送る、30年ちかく生きてきてはじめてやる事柄で、ようわからんぞとぶつぶつつぶやきながらラベルを制作し、郵便局に行き、なんとか送りだす。遅延せず、汚損せず、ぶじに着きますように。

ロゴの修正。難路。デジタルとアナログの切り替えという選択肢をひからせ、寝(かせ)る。この睡眠こそがものをつくるときのエナジーになっているんやな、とここのところよく考える。さいきん、映画を観ていない。めざめてねむりの成果を発揮し、先方に送る。咳はだいぶ消え失せたが、背中、相変わらず激痛を発す。チョン・イヒョン『優しい暴力の時代』の冒頭を読んで、ねむる。ハン・ガンの文のもつ白いさびしさのようなものが本書にも流れている気がする。単に韓国の作家だということで同一視しているだけではないか、とつっこむわたし。いや、ちがう!と反論するわたし。

夜中にめざめ、ロゴに対する好意的な返信がとどいており、ひと安心する。だれかにものを提案することのはいつでも緊張する。たとえなんどもやりとりをしている相手だとしても、そこは刺すか刺されるかのバトルフィールドである、というのはいいすぎかもしれない。

小説を書くぞ、という意識をもっていちねんを過ごしたはずだが、ほとんど筆がすすまないままいまに至っていて、その代わりにグラフィックまわりでの制作はそれなりにやってきたのだが、とはいえやはり文をどうにかしたいきもちがある。のこりわずかな今月をそのために費やしたい。

カードの引き落とし通知がきたのでどのくらいつかってったっけなとアカウントにログインすると、通知もなしに利用限度額が数倍にふくれあがっていた。いつあがるんじゃいと不満不平をブーブーたらしていたときのわたしが見たらさぞよろこぶだろうと思ったが、いまはでかい買い物をそうそうしなくなってしまっているのでちいさなうれしさだけが胸中に生まれた。


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無の日を過ごしていると、ちゃんと荷物が海を越えてとどいたことがわかり、安堵する。EMS、ほんとに3日でとどくんだ。高い送料を払っただけある。ぶじに到着しただけで満足している感がある。ちかぢか〆切のコンペがもうひとつあり、それもだすならば同じ作品でのぞむのだが、英語表記のバイオグラフィなどが必須で、どうしようかと悩んでいる。出品料がかかるタイプのものなのでそこもネックだ。金をとるコンペに対してわたしは敵意がある。搾取・収奪・不均衡といった言葉が浮かんでくる。といいつつ、先のコンペは出品料があるタイプだったのだが。

津村喬『戦略とスタイル』の冒頭30頁くらいを読む。

私は小学四年の時に母親からレーニンの『青年同名の任務』を「読んでみる?」と渡されて、夢中になりました。良い共産主義者になるには、それ以前に人類が到達した遺産のすべてを知らなければならないというのに感激したのです。それから中学三年までの六年間、私の読書歴はレーニン全集の全四十三巻に向かうと同時に、M・イリン、ツィオルコフスキー、ガモフらの科学読み物と岩波文庫の百冊に始まる教養主義に支配されていました。

きょうれつ! 文化資本の再生産! 筋金入りというのはこのようにして世にでてくるのだなとただただうなずくことしかできない。しかしそうではない道のりを歩いてきたわたしたちも、そうではないなりの身ぶりをたずさえて、きっと何かしらの山を築くだろうと思うこと、あるいは思いあうことが、自らの足場のかそけさにひとすじの頼りの灯火をひからせるのである。おれはそう信じる。おれはその光めがけて歩く。