建造とまではいかない山の下を走る空

ずいぶん前にやめたブロスタをインストールしてしまい、時間がとける。クラロワ然り、スーパーセルのゲームには麻薬的な快楽がある。ポケモンユナイトがはじまったらおれの人生はおわる。21日からとの告知もでた。カメックスサーナイトも登場予定とある。フワライドやトリトドンペンドラーズルズキンなどの到来も待たれる。MKRのポケモン実況がおもしろい。ファイアレッドハートゴールドも四天王戦がアツすぎた。次回のエメラルドもたのしみ。彼もユナイトの配信をやる。

モチベーションが死んでしまった。手を離された風船のよう。あらゆるやる気がない。2億ぐらいふっと手のひらの上に湧いてこないだろうか。スマホにじっとむきあい、てきとーにスマホとベースをいじくっているうちにいちにちがおわる。食事の用意だけは欠かさずする。えらい。

献立、キクラゲ卵トマト炒め、いんげんのペペロン風。

献立、茄子の味噌汁、豚バラ玉ねぎいんげん胡麻梅炒め。

献立、鶏とブロッコリのガーリックオイスター炒め。

献立、茄子といんげんキーマカレー。赤缶、クミン、ターメリック、カルダモン、フェヌグリーク、コリアンダークローブナツメグ、カイエンペパー、ブラックペパー、タマリンド、にんにく、しょうが、トマト缶、赤ワイン、はちみつ、醤油。

どれもうまい。おれは料理の天才。

小泉義之ドゥルーズ霊性』の合評会をまとめた論文集を読む。参加者である廣瀬純、千葉雅也、市田良彦のテキストと、それを受けての小泉義之の応答。廣瀬純のアジはいつでもサイコーだ。それぞれの文体のちがいをおもしろく読んだ。やる気も多少湧く。


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オリンピックはプリキュアまでをもつぶす。放送もだし、動員もする。サイテーである。いまいちばん大事なことをやる!がモットーのキュアサマー/夏海まなつに、オリンピックのプロモーションキャラクターとしてふるまわせることの醜悪さ。おれはつらい。

血のつながりによって他者の罪を背負うことに対する反撥がわたしにはあるが、これを敷衍させると、民族のつながりによって他者の罪を背負うことに対しても疑念が浮かび上がることに気づく。

富野由悠季『劇場版 GのレコンギスタⅡ 「ベルリ 撃進」』。おもしろい。バックグラウンドが徐々に開示されてゆき、そのぶん物語世界のあつみが増していく感がある。テレビシリーズとはちがって話数をかさねることができないために、ひとの生き死にの薄さはあるが、それでもベルリとアイーダのクロスする状況がそこにひとつの反復効果を生み、濃度を深める作用を為す。息子大好きベルリママにはバロン・マクシミリアンの影があり、また月の民の存在にはターンエーのモチーフも見いだすことができ、このようにして系譜を感じること自体がたのしい。

一週間、ほとんどなにもやらずに怠惰に過ごし、こころがつぶれそうになる。夏。メランコリ。工事の音。扇風機。汗だくでベッドに横たわっている。

藤本タツキ「ルックバック」を読む。おれはインターネット≒SNSがこわい。即時に孤読が失われてしまう。見たり読んだり聞いたりするのは個人的なことだが、そこで生じた感覚が、すぐに多数的なものに成り代わってしまう。わたしだけの感受が、べつのだれかの感受によってもみほぐされ、ちりぢりになり、ほつれていく。真夜中に、真っ暗な部屋で読んだ百余頁の感慨が、みじかい無数の声によって明るくぬりつぶされていく。これはいったいだれの経験なのか? そもそも経験とは、ほんとうにわたしの名において統率できるものなのか?

でかい現象自体への恐れもあるのかもしれない。むろん、わたしの天邪鬼な性質もそこには関係している。束ねられた賛、あるいは否の声を、わたしは好ましく思わない。みなでひとつの方向を向くことの対する嫌悪。全体主義のキモさ。

武田百合子富士日記(上)』、ロザリンド・クラウスアヴァンギャルドのオリジナリティ』、岸田将幸『詩の地面 詩の空』、ジャック・ランシエール『平等の方法』あたりをパラパラするが集中できない。

夜に起き、カレーを食べ、水シャワーを浴びてPCの前に向かう。ブログを書き、やる気を少しずつとりもどしてゆく。文章を書くことは精神をととのわせる。