ものaを見ればものxが書ける

ラジオ、問/雑談の比率が高いとぐにゃぐにゃ話がうごいてよいと思いました。ブログでも以前触れましたがバンド/フェスのホモソーシャル性について、放送後についったでも電話でも反応があって、波が立つ話なのだと思いました。かつてわたしは女性専用車両についてこのような考えをここに書きましたが、同様のことがアファーマティブ・アクション(積極的是正措置)にもいえるのでしょうか? たとえばアメリカでは大学入試の際にこれまでの歴史的・社会的差別構造を鑑みて、有色人種に対するクオータ制が導入されたり、点数に下駄を履かせる試みをしたりしている(た)ようですが、これが逆にマイノリティを弱者として落としこめるものとして批判されていたり、そもそも逆差別だ!と白人側から裁判を起こされたりもしています。(なお、批判の声は主に保守派から発されていることも付記しておきます、上記のfreedomtoonsは右派リバタリアンのチャンネルです)。

これを書いているいま現在のわたしの立場としては、女性専用車両と同様に、アファーマティブ・アクションはあって然るべきだと思っていますが、とはいえこの構造がまた新たな差別構造の温床になりうるというのも事実でしょう。そもそもアファーマティブ・アクションは、別名:Positive Discrimination(肯定的差別)です。インターネットを渉猟していると、「アファーマティブ・アクションと時間的制約」という論文に突き当たりましたが、この制度は過渡的なものとして考えるべきなのかもしれません。「フラット(つまりは高低差のない状態)」であることを違和なく尊べるような社会が訪れるには、まだまだ時間がかかるでしょう。


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放送では「グラストンベリーとかどうなんですかね?」とわたしは首を傾げていましたが、放送がおわったあとでしらべてみると、フェスにおけるジェンダーバランス均衡化への取り組みは以下のようなものがありました。

news.yahoo.co.jp

rollingstonejapan.com

また、the1975のフロントマンがジェンダーバランスが不均衡のフェスには出演しないことをついった上で発表していたという記事も見かけました。わたしはフェミニズムの立場から、それぞれ「いい」傾向の事例だと思います。ですが、この世に存在するすべての催し・作品・団体が、男女の比率を同数程度にする必要はないとも思っています(そこに「意識」や「自覚」はあったほうがいいと思いますが)。とりわけ「作品」においては、ジェンダーバランスへの配慮よりも、その作品からの要請こそを優先すべきだとさえ思います。

くわしくはまたラジオで話します。