魔球キャッチandラナウェイ

顎関節症は猫背も原因と聞き、わるい姿勢でPC作業をしているとなるとまで書いてあって完全にそれだとしごとをしている際には背筋をのばす癖をつけているのですが、長年の習慣で身についた体勢のゆがみはなかなかなおらないもので、背骨にまで痛みを感じています。

わたしの両親には品やデリカシーというものがなく、いっしょに暮らしていてたいへんなキツさがあります。テレビから流れる「鎮魂」という言葉を聞いて反射的に「ちんこ」と発声したり、わらいながら「おまんこから血がでている」などと生理を形容したりする50代の両親をもつということがどういうことかわかりますか。こうした言説が飛び交う空間をフラットであるなどといって肯定したくないわたしは、自身が思うよりも保守主義者なのかもしれません。思いかえせば、まだ10代の頃のわたしに「むかしあのラブホよく行った」だの、後部座席にわたしがいる状態で「美乳派? 巨乳派?」とかいう会話を同年代の友人とくりひろげるのは、セクハラ以外のなにものでもないのではないでしょうか。こんなことを恥ずかしげもなくできる品性、知性、感性しかなないことのかなしさ。そのかたわれの血を引いていることが屈辱的だとさえ思います。こうした出来事や、そこから生じる感情を制作の種になるとでも思わなければ、とうていやっていけないくらい気が滅入ります。みぢかな不快さに向きあうことは、たとえば介護の問題にもいえるでしょう。せんじつ妹と話していて、「親は施設へ」と合意に至ったのはおもしろい出来事でした。おもしろいですか?


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換気扇の掃除やらをし、ハムと大根と人参のミルクスープをつくります。今日は映画観ないの?と祖母が聞くので、有安有果『Dressing Up』を観ようと思ったのですがユーネクストから消えており、迷った末にインドゥジヒ・ポラークイカリエ-XB1』(1963)を選択しました。「地球は消えた!」という第一声、大勝利の叫びです。映画美術がキレキレで、古い宇宙映画のもつシックなスペーシーさを感取しました。スクリーン内スクリーンは相変わらずふしぎな心地よさがありますね。ベルイマンの『仮面/ペルソナ』のことを思いだしました。

わたしがこの映画のことをしったのは、かつてジャン・バティスト=レオネッティの『カレ・ブラン』を観た際で、パンフやフライヤーに本作のタイトルが書かれていたのでした、とこの文章を書くまでそう思いこんでいたのですが記憶ちがいで、じっさいに書かれてあったのは『THX-1138』でした。これもユーネクストにあるようなので今度観ます。

『返校』3話もつづけて観ました。ポエムの話がでかでかと扱われていて、たのしいきもちになります。詩集は商品じゃない、だったり、詩は情報伝達のためのものではない、だったり、ほんとそれよね!と先生の教えを頷きながら聞いていました。いい詩を書くためのアドバイスを問われた際の、「人を愛して。その喜びと悲しみ、そして痛みが作品を生む」というユーレイの台詞もたまりません。わたしはポエム大好き! あれ、これってホラー作品だったのでは、というのは横に置いておきましょう。