でんぐりアソシエーション

クリスティアン・ペッツォルト『あの日のように抱きしめて』(2014)。原題はPhoenix。なんど死んでもよみがえる不死鳥である。作中にあらわれる酒場の店名にも紐づけられている。物語としては、第二次世界大戦期のドイツ降伏直後のベルリンで、命からがら収容所から生還した女が、顔面の再建手術を受けながらも、離れ離れになってしまった夫を探し求めるが、なんとか辿りつくことのできた彼は女を妻として認識せず、それどころか遺産相続のために「妻のフリをしてくれ」と提案してきて……というような話。彼のすがたをみとめ、妻として認識されなかったことに対して思わずその場を走り去ってしまうシーンのつぎの場面で、鏡で自身の姿を見ているカット(しかもカメラはそのすがたを横からおさめ、鏡に映る顔を観客には見せない)をつなげたり、整形手術をおえて瓦礫の山と化した自宅跡に向かった際に、その場に残されていた真っ二つになった鏡に「私」の顔を「ふたつ」映したりと、とにかく演出が冴えていて、「退屈そうな映画」ではあるのだが、観ていて退屈しなかった。途中、ひとつなぎのシーンが分割されて配置されているのだが、顔と格好を闇に紛れさせることで、その時系列をうまく操作しているのもよくできていた。真相に迫る際に、同一のフレームに夫妻の顔を収めないのもすばらしい。希望をこめた妻の語りに反して、すでにそこには乗り越えることのできない断絶線が走っているのである。

暗に仄めかされたまま幕を閉じてしまうレズビアン的関係性も泣ける。何かの映画を思いだしたのだが、何の映画だろう。ペッツォルトの映画はアンスティチュフランセだかアテネフランセだかで何度もチェックしていたものの、けっきょくスケジュールが合わなくて、というのがつづいて、『未来を乗り換えた男』*1しか観ていないのだが、何かと気になる作家で、いまやっている『水を抱く女』も観たいのだよな、ざんねんながら周囲に映画館がないので観ることは叶わないのだけれども。


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夜、ピーマンの肉詰め。いつもはまぜものを入れずに肉肉しいものをつくるが、今日はみじん切りにした玉ねぎと卵を入れてみる。水気がでるので当然ながらジューシーな味わい。好評だった。自身としては、どうだろうか。

食後は些事を片づけ、台割をつくり、先方に投げる。徐々にかたちが見えはじめてきた。3桁級のページもののデザインのしごとなのだが、はじめてやるのでとてもたのしみ。中身もカルチャー系なので、ぞんぶんにうごかせるだろう。

*1:当時の感想つい:未来を乗り換えた男、奇妙! "現代"欧州を舞台にした恐怖政治からの逃亡劇。小説原作かつ怒涛のナレーションにもかかわらず言葉がやかましくないことにまず舌を巻く。カットの切り口の特異な均衡と、遷移していく物語の行方にサスペンスしながら多幸感にみちたトーキングヘッズで煙に巻かれる感じが◎/飽くまで「煙に巻かれる感じ」なのでちゃんと着地はしているんだけれど笑 主演のフランツ・ロゴフスキ(ハッピーエンド!)が顔、語り口、たたずまいの三拍子そろってすんばらしいのと、ヒロイン役のパウラ・ベーアが22歳とは思えない貫禄をふりまいていて驚嘆。建築家の突出しない異質感もスゴかった