群衆の手の数で命運を占う

花を見にゆく。車椅子に乗った祖母らとともに、桜を見る。花の写真を撮る。白鳥が池で泳ぐすがたを見る。風に花穂がゆれるさまを見る。にぎやかな人出をひさしぶりに目にする。晴天。くしゃみをして鼻水が垂れる。ティッシュがないのでそのままにしておく。マスクをしているので、外からの見た目は変わらない。花の写真を何枚も撮る。みじかい映像も何本か撮影する。そのうちのいくつかをストーリーにあっぷする。映像の単位を本とする時代は、さらには写真の単位を枚とする時代さえも、とうに過ぎ去ってしまっているのかもしれない。

サバの水煮缶と厚揚げを味噌と酒と生姜でさっと煮込み、夕食。食べおえ、皿を洗い、寝る。

めざめ、沼田真佑『影裏』を読みはじめる。読みすすめるにしたがって、先に読んだ文章の質感が変化するたのしさがあった。自然の光景をエロティックに書きこむことが、ホモセクシュアル的なシーンの到来をじゅんびし、その予兆を高めているともいえるだろうか。釣りをしている際の「竿を振って」だの、魚を釣り上げたときの「抜きあげられた」だの、語句の選定がいちいち性のイメージを思い起こさせ、土手で跳ね回る魚をあらわす折には「周囲の青草を自身の体の粘液で汚すだけ汚してしまうと、バナナのように体を曲げて空中を飛んだ」とまで描かれるに至っては、である。表題作の半分ほどまで読み、いったん本を閉じる。


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今日のプリキュアは想像力をテーマにしていてよかった。ひとのもつ最大のちから。砂浜で見つけた落としものを親切なひとが防風林にむすびつけておいてくれた、というのはちょっと無理筋ではとも思ったけれども。相変わらず高飛車でわがままなローラがかわいい。おまぬけなところもよいよな、わたしはこういうキャラ造形が好きなんだよな、

ひさびさに買いだしについていく。肉やら豆やら野菜やらの食材を買うとともに、書店にも立ち寄り、乗代雄介『旅する練習』を買う。発売日のころに書店をめぐった際にはどの店にも入荷されていなかったが、しばらく経った現在においてはどうやら売れているようで面陳されており、何冊も台に積まれていた。棚には『最高の任務』のすがたも。わたしのこの購買が、次作の入荷にもつながればよいと思う。その頃にはもうここにいないかもしれないが。

ラーメンも食べにゆく。店の前にずらと行列ができており、換気口から漏れでる香りにも否応に期待が高まるが、あまりおいしいと思えず。麺とスープとチャーシューが調和することなくバラバラに主張していて、ハテナだった。とはいえ、親の金で食べるチャーシューメンはうまい、とすねかじりの本領を見せつけていく(いったいだれに?