たねうみの真夏

今日も4時台にめざめます。ザンボットを観ながら朝ごはんを食べ、グラフィックを見かえします。ノイジーな作品をつくりたいとしばらく前から思っているのですが、なかなか踏みこめずにいます。今回の作品は、そのための跳躍板になってくれるようなものかもしれません。しあげたのち、佐藤栄佐久『知事抹殺』をさいごまで読みます。「つくられた福島県汚職事件」というサブタイトルがあらわす通り、本書は贈賄の疑いで裁判中(2009年当時・2012年最高裁は有罪判決を下す)の元福島県知事が、自らの来歴をふりかえりながら、身の潔白を示さんとするドキュメントとなっています。その語りのひとつの軸としてあるのが「原子力」であり、それもあって震災特集で取りあげるのによさそうだと積み本の山から掘りだした次第です。

さて、本書で扱われる汚職事件は原発とは直接の関係をもたないダム工事や土地売買についてのものですが、なぜ原子力がストーリーの軸になるのでしょうか。その理由は国が推しすすめる「プルサーマル計画」に待ったをかけて、道州制をはじめとする地方分権の分野で国家の方針と真っ向から対立していた知事という、著者のバックグラウンドにあります。これは国策捜査であり、国に従わぬ邪魔ものは消してしまえ、という論理がそこにははたらいていたのではないか、というすじみちで本書は書かれています。

その真偽はともかく、いわゆる「法廷もの」として、連日の取り調べに追い詰められて虚偽の自白に至るまでのプロセスと、それを踏まえた裁判所での検察と弁護士の攻防は頁をめくらせる推進力があります。とはいえ、付箋を貼った箇所の多くはそうした逮捕後の章よりも、県知事時代のことを語っている章に集中しており、どのようにして原発政策がすすめられ、どのようにして道州制の議論が交わされてきたのかというところにわたしの興味はあるようです。知事が辞職・逮捕となった2006年当時、わたしは福島の片田舎で中学生をやっており、政治への関心もいまよりもずいぶん薄く、連日のようにテレビのなかからきこえる「プルサーマル」の意味もしりませんでした。過去の無知をとりもどすような読書だったといえるのかもしれません。

ちなみに、プルサーマルとは、原発の燃料であるウランに、使用済み核燃料を再処理してできたプルトニウムを混ぜ、もういちど原発の燃料として再利用するしくみのことを指します。この混ざった燃料のことをMOX燃料(MOXはMixed OXide:混合酸化物の略)と呼びます。国際公約として、日本は「利用目的のない余剰プルトニウムは持たない」ことを宣言していますが、原子力発電をおこなっている以上使用済み核燃料は際限なく生産されつづけます。日本における核燃料の再処理施設は東海村六ヶ所村にありますが、周知の通り、ともにトラブルだらけのとうてい信用ならない代物であり、2021年現在でも安定した運転はおこなわれていません。日本は国内で処理をする代わりに、イギリスやフランスなど国外に依頼してプルトニウムを抽出してもらっていますが、この溜まっていく一方のプルトニウム──つまり余剰プルトニウムを消費しなくてはならないというところで、数々の改竄やごまかしのもと、プルサーマル計画は国家-原子力安全・保安院主導の事業としてすすめられていったのです。

使用済み核燃料をめぐっては、もうひとつ、「夢の新技術」を謳った「高速増殖炉もんじゅ」という施設が福井にありましたが、事故と隠蔽にまみれたこの「智慧」を司る菩薩は、たったのいちども(!)本格運転に至ることなく、廃炉が決定しています。当時、プルサーマル計画は、そんな状況下に差したひとすじの光として、国がなんとしてもすがりたいものだったのです。それを遮った佐藤栄佐久という影を、なんとしても消さなくてはならない。単に「陰謀論」と片づけることのできない物語が、本書からは読みとることができます。


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食事の時間まではひたすら制作をします。たびたび言及していますが、これで食っていけるならほんとうにサイコーだなあと思います。いつまでもやっていられます。夜は野菜炒めをつくります。ガーリックパウダーをまぶしておいた豚肉と、玉ねぎ、もやし、きゃべつなどをどっさりフライパンに投入し、バチバチの火力でどうにかします。味付けは、大葉と味噌と胡椒で。わしわしごはんがすすみます。食後も制作をつづけ、いくつかテキストを書いたりなんだりし、早寝します。

めざめ、妹と朝食を摂り、送りだして、プリキュアを観ます。やっぱり作画がつよい! かわいくてつよい、つまりはむてきということです。ムテキのやる気! キュアサマー! 必殺技のキメで、サマーがこちら(観客)のほうを向くのがとてもよいです。そのうしろで、敵がカラフルに爆散するのです。