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早起きし、ミュジアムへでかけます。しんじがたいことに、昨年9月以来の展示です。毎週のようにギャラリの類に足をはこんでいた頃には考えられないことです。環境の強力な作用ぶりがわかります。今回観たのは、福島県立博物館で開催されている「震災遺産を考える」展です。津波地震、それにともなう火災の爪痕が数々のモノによって語られ、避難所や自治体の対策本部に残された「文字」(あるいは書かれなかったことを示す「余白」)が胸を打つ、震災10年の節目にひらかれた意義深い展示でした。なかでも、避難所に設けられた自主的な学校で、子どもたちが桜の花びらに託しながら書いた「早くお家に帰りたい」という言葉の前に、わたしはしばらく立ちすくんでしまいました。また、その隣に配された2011年4月の日付が打たれた集合写真のなかでは、マスク姿の子どもたちが全体の1割ほどしかおらず、10年後のコロナの時代と、いまもつづく放射能の時代との差異について考えを至らさずにはいられませんでした。これはラジオでも話したことですが、すぐに影響があらわれる感染症とちがって、放射能の影響は「ただちに」は見られません。人類に脅威を与えるこのふたつのインビジブルな存在をわけへだてる「時間」が、わたしたちの行動をも左右するものとして横たわっているのです。

折れたり、ねじ曲がったりした標識も印象に残った展示物でした。そこにある「浪江町」や「いわき」といった土地をあらわす固有名と、目に見える「傷」としての破損がむすびついたこのオブジェは、観るものにちからづよい衝撃を与えます。津波が押し寄せた建物の壁についた生々しい泥の跡を、その高さもふくめて展示室に移設した「作品」(といってしまいたくなる)もおそろしいきもちになりました。まず助からない高さです。わたしの背丈よりも高い位置までへばりついた泥が、そのことを言葉なしに、雄弁に語ります。その壁を背景に、おおきなミニチュアの街が置かれています。波に呑まれた土地を復元した、継承のためのオブジェクトです。

モノは言葉を発しません。が、展示物の数々は、わたしのうちに言葉を生起させます。避難所や対策本部に残されたままだった、ひとの名前が書かれた貼り紙。***にいます、◎◎◎へ向かう、探し人、死亡者、不明者……。そうした言葉の付された固有名は、そこにいたひとの存在をはっきりとわたしたちに伝えます。つくられて間もなく再避難が告げられたために、空白のままに置き去りにされた伝言板も象徴的です。そこには、当時の空気が無をもって刻印されています。こうした事物は、わたしに何かを促します。死んでしまったひとは新たに言葉を発することはできません。その代わりに、わたしたちは新たな言葉をつむいでいくことができます。

また、デザインのしょうもなさからして意図されたこととはとうてい思えませんが、図録がひらくたびにきしんだ音を立てるつくりになっていて(『亀裂のオントロギー』!)、その組版やレイアウトのてきとうさに対する文句もこの軋音がかき消してくれるかも、などと一瞬楽天的(?)な考えがあたまをよぎったりもしました。800円で150頁もあるのは、買う側にしてみればうれしいことです。地方におけるミュージアムの「生計の成り立たなさ」は、たとえ平日真昼どきといえども、わたしが展示を観ている150分ほどのあいだに片手で数えられるほどの観客にしか出会わなかったことからも伺えますが、こうした「文化芸術」をネオリベの論理で切り捨てるひとたちとどのようにやりあっていくかは、その担い手であるそれぞれが、それぞれの立場において考える必要があることだと思います。


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常設展も観ました。おそらく20年ぶりくらいじゃないでしょうか。展示室や展示内容はまったくおぼえていませんでしたが、それなりにたのしくわたしの生まれ育った土地の歴史をしりました。実物大のにんげん(稲を植えるとか、バスに乗ってるとか)の像があるのもひさしぶりに観た気がします。うるさい家族がひと組いたこと以外は、ほとんど不快になることがない、すこぶる快適な時空間でした。東京での生活が、わたしの目や、興味関心を育て上げたことが、こうした体験を通して理解されます。フタバスズキリュウのおおきな復元模型のある一室に置かれた、ちいさなサンゴの化石がかわよでした。

藤本タツキチェンソーマン』の最終11巻と、妹に頼まれたあずまきよひこよつばと!』の15巻を買ってうちに帰りました。駅に向かう道のりで、「キチガイ在日犯罪創価」と唱えるおとこのひととすれちがいました。街で不審者に遭遇してもそのことをSNSに書いてはいけない、というような文言を、ちょうどその日ついったで見かけていました。その「不審者」自身に生活圏を特定されてしまうからでしょう。わたしもたいがい不審者であり、ここはサーチエンジンの網からこぼれおちている僻地なのでまあいいでしょう。行きと帰りあわせ90分くらい街を歩き、さらには2時間半展示を観ていたので、ひきこもりの脚はボロボロになり、衣に鰹節をまぜた和風唐揚げを揚げて夕食を摂ったのち、すぐに入眠しました。