束ねる髪の形状への憧憬

ラジオのためのグラフィック制作。特集月なので、ひさびさにつくろうと思ったのでした。その細部を詰めつつ、多和田葉子『献灯使』をおしりまで。ウーン、傑作! しびれました。時事への踏みこみのいさましさを見るに、そこに信頼の情を抱くのはわたしだけではないでしょう(この信頼は書かれている内容に対するものではありません、念為)。直接的に「天皇」の「お言葉」を聞こうとする場面などが挿入されるに至っては、思わずおうおうと声を上げてしまいました。その足取りの向かう先はさておいて、そこに足跡をつけることができる作家がいま、いったいどの程度いるのでしょう。背を正さねば、という思いに駆られます。

また、「物語」の決着のさせかたについての、はげましをもらったようなきもちにもなりました。行を追っている最中、そこに書かれている物語にわたしがひっぱられているのは事実ですが、より強力な引力は文そのものから発されているのであって、そのはたらきに身をゆだねているだけで幸福になれる「わたしたち」にとっては、「物語」は飽くまでおまけなのです。もちろん、そのおまけが見たこともないものだったり、きらきらにかがやいていたり、一筋縄ではいかないものだったりすれば、なおたのしい。この本も、ちょうえきさいてぃん。すこぶる幸福な読書体験でした。

末尾に収録された戯曲「バベルの図書館」はぜひ上演を体験してみたいです。内容や作風はぜんぜんちがうのですが、ハントケの『私たちがたがいをなにも知らなかった時』を読んだときの感覚を思いだしました。戯曲を読むことによって訪れる、想像上の上演の幕切れが、小説を読むとはまた異なる感情の起伏を生むのだと思います。小説といっしょに収録されていて、なおかつ最後に置かれているという作品の置かれた環境も作用しているかもしれません。

読書記事を書く気力がいまはないので、くわしくはラジオで話そうと思います。


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グラフィックをつくる前、食パンを引き裂いてトーストし、シチューを食べました。シチューに大根を入れたのははじめてでしたが、アリでした。カブみたいなものだろ、と入れたのでした。わたしの人生において、カブもシチューに入れたことがあるかどうかはさだかではありませんが。

人生といえば、今月とうとう29歳になるのでした。ずいぶん遠くまできたなという感じがしますが、その実、まったくすすんでいない!という具合なので、今年はよりいっそうもがいてみようと思います。