ボクのうんちが飛んでいく

 下水道管を伝って、ボクのうんちが飛んでゆく。ボクんちのトイレに置かれた便器のなかから、通ったことのない道をくぐり抜けて、ボクのしらない場所まで飛び立っていく。それがふしぎでしかたがなくて、いつの日かボクはうんちといっしょにその場所まで行ってみたいと思ってる。
「ねえ、ぶんちゃん。今日の夕飯なにがいい?」
「もろこしごはん」
「あとはー?」
「えのきバター」
「いっつもそればっかりねえ」
「好きなんだ」
 ボクはバチバチとAボタンを連打し、画面から目を離さずに答える。ママはでっかいトートバッグを左肩にひっさげて、じゃあ行ってくるわねとスーパーにでかける。デーレレーン。よっしゃ、ボス戦だ。ロード画面のあいだに、ボクは洗ったばっかりでまだ水滴がついているコップに100%オレンジジュースを勢いよく注いで一気に飲み干し、すみやかに水分補給を済ませる。これでボクも100%、ロードも100%だ。

 ボスにはなんど再戦しても勝てなくて、クッションにゲーム機をぶんなげて、ボクは夕飯の並んだ食卓に腰を落ち着ける。その音を聞きつけて、グジョヌギャンが爪をかちゃかちゃならしてボクのあしもとにすり寄ってくる。よしよし、とちぢれたやわらかい毛を指先でなでつけてから、ぼくは元気よくいただきマンモスと両手をあわせ、醤油とバターの香りをぷんぷんさせてるえのきのソテーに箸先をのばす。まだ湯気が立ってて、あっつあつだ。
「あらぶんちゃん、今日ははやいのね」
「ふん、はまのへほひはぱーはいふひははへ」
「ふふ、ちゃんとよく噛んで食べるのよ」
「ん!」
 ママはニコニコわらってボクを見てる。ボクもえのきを噛み噛み、もろこしパクパク、「きらきらのお星さまみたい」な目でママを見つめかえす。寝るまえに、ボクのつやつや髪をなでながら、ママはいつもこうつぶやく。「ぶんちゃんの目はほんとうにきれい。きらきらのお星さまみたい」。たぶんぼくの目はお星さまなんだ。だから、いつか空にかえしてあげなくちゃいけない。

「おれさ、川に落ちてから腕にぶつぶつができよるんよ」
 めっちょがびゃっと長袖をまくってまっしろの腕のうちがわを見せつけたとき、ボクはそこに赤い星座を見た。それぞれのぶつぶつがまるで星みたいで、「銀河みたいでかっけえ」と声がでた。
「銀河みたいでかっけえ」
「えっ」
「めっちょ、めっちゃかっけえじゃん」
 「そうかな」と両手を顎に当てて照れるめっちょに、「めっちょ、めっちゃ、めっちゅ」と連呼して、ボクはめっちょの背中をめっちゃ叩いた。「ちょ、やめ」いうめっちょなんておかまいなしに、めっちゃめちゃに叩いた。そしたらボクの手のひらがジンジンしてきて、真っ赤なお星さまみたいにヒリヒリした。それからしばらくして、ダビデの家の前でさよならって手を振って別れた。ボクの赤い星が、ボクの意志で左右にゆれうごく。それをボクのかがやくふたつの目で見つめていると、だんだんたのしくなってきて、自宅までの500メートルをぴょんぴょこ跳ねまわりながら帰った。鍵を鍵穴に挿し入れ、星をギュッとにぎって玄関のドアを開けると、グジョヌギャンが首を吊って死んでいたのだった。

 「それがボクの星にまつわる、いちばん印象深い思い出です」と目の前の男は周りを見渡し、満足そうな表情を顔に浮かべてソファに沈んだ。その沈みこみようは尋常でなく、まるでZ級スプラッタ映画にでてくる殺人ソファに一瞬のうちに腰から食いつかれてしまって、もはや絶体絶命、助かるすべなしというような、そんな風に見えた。四肢以外はほとんど見えなくなってしまっている彼のすがたに関心を抱いているのはどうやらわたしだけのようで、部屋にいるひとびとはパチパチパチと賞賛やら惰性やらムードづくりの意をこめた拍手を彼に対して送っている。その不揃いの破裂音がそろそろ途切れるかというところでスッと1本の手が挙がり、音もなく駆け寄ってきた司会の男がマイクをその手ににぎらせる。
「興味深いお話をありがとうございました。ところで、うんちといっしょにうんちの行き先にたどりつくことはできたのですか」
 え、いまの話聞いててそこに質問する?というわたしの疑念とは裏腹に、若い女性がすこし早口でくりだした質問に会場のひとびとはすぐさま無言のまま同調し、ソファから生えるみじかい手足に急激に視線が集中した。
「それをいまからたしかめに行くのです」
 くぐもった声が消えるや否や、男の手足の先はソファのなかに見えなくなり、ソファ自体もソファのなかに吸いこまれ、周囲の机や椅子や観客も、司会やマイクのコードもシュルシュルと巻きとられ、となればもちろんマイクをにぎったままの質問者も、さらにはわたしも吸引されてしまって、ホワイトボードに書かれた「第32回 星の集い」という文字の横に描かれたダビデの星の、水性インキの妖しい瞬きまでもがぶんちゃんのうんちの終着点を見届けるための果てしない旅の同行者になるのだった。