幼児的兄弟

22時頃にねむったのに2時頃に起きてしまう。よくないねえ。また寝ようとするが、けっきょくふとんのなかでゆーちゅーぶを観はじめてしまい、おわる。

どこで筆を止めるのか、という問題。なにかをつくっているみなみなさまがたは、いったいどこでその終点を判断しているのですか? こういう話題をラジオにもっていけばいいのか?と書いて気づいた。リスナーが自らの経験をもとに参加しやすい話題。作品の話でなく、概念の話。

「殺すリストに入れた」という文面がブログをめぐっているうちに目に入り、こうした物騒なものいいはいいなあと思った。すなおな殺意の表明。その怒りの過程もよくわかるので、なお好ましい。わざわざその感情を言語化する姿勢自体もよい。そこでふと気づくのは、さいきん殺す!というきもちを自分のなかに見ていないのではということだった。殺意が足りない、と半ばうわごとのように声にださずにつぶやくことがわたしの人生においてそれなりの回数あったが、それすらも減っているのではないか。あまりよくない傾向である。そのことに心づくのと同時に、過去のわたしはふりきれたエッジで詩を書いていたんだなあとふりかえる。それがじっさいに淵なのかはしらないが、当時のわたしにとってはぎりぎりの地点だったのだろう。


f:id:seimeikatsudou:20210214094553p:plain
296


6時頃にまたねむりに入り、緊急地震速報のアラームでめざめた。どうせゆれへんのやろ、と東京での経験が用心を殺すが、10年ぶりクラスのゆれで、暗闇のなかで本棚がたおれませんようにと祈る時間が生じた。グラグラとくる中盤のゆれよりも、後半のもったりしたゆれかたがきもちわるく、酔いそうになる。

リビングにでると家族はみな起きており、ひとまずわたしは朝(夜)食を摂る。オリーブ、キムチ、昨日つくったしいたけたまねぎぶたにくはくさいのコチュジャンケチャップ炒めののこりを白米で食べつつ、NHKをながめる。なにもこんな夜にねえ、と食べながらスマホをひらくと、友人から何通か「大丈夫か」と連絡がきており、ありがたいきもちになる。

食事をおえ、皿を洗いながら、地震に触発されてか震災当時のエピソードを妹と母の口から聞く。わたしも話す。父は話さない。ふたりの話はかなしい話ではなく、笑い話として話され、その方向性がおもしろいなと思う。話さない父もおもしろい。そういう家にわたしは育ったのだ、ということが急激に自覚される。それがどうということでもないが。わたしのおぼえていない当時のわたしの発言などもあらわれ、その記憶のおもきの置きどころのちがいもおもしろく思った。アフター地震のおもしろ話。