燃えてよ、(ghost)花弁の朽ちた、淡くつめたいゆびのあいだで

スマホとPCと本を同時読み。メガネのヒンジがゆるんでいて、すぐにずり落ちてしまうのが腹が立つ。家のどこかしらにドライバーはあるそうだが、そのどこかがだれもわからないのだった。ちいちゃいハサミの先端でどうにかしようとしてみたが、ネジが馬鹿になりそうですぐに取りやめた。

今朝は雪。『家父長制と資本制』を読みすすめる。明快でスパッとしている。家事労働として出勤前の妹にカレーチーズトーストをつくったり、洗濯したりしているうちに眠たくなり、寝た。寝たいときに寝れる生活。これ、めちゃくちゃよい方針ではないか?? せんじつ「さいきんは米炊いてなかったから」と米を買いそびれていることのいいわけをこぼす父のすがたを目の当たりにしていたが、わたしが炊いていなくてもただ寝っころがっているだけで炊飯していないではないか!と目覚めて早々呆れかえった。ひき肉にんじん玉ねぎ長ネギをニンニクとナツメグで炒め、味噌とヨーグルトとその他香辛料で風味をつけたら和洋折衷ミートソースの完成。うどんで食べる。うまい。

食べながら、JST構造化チーム若手・共創支援グループ主催 若手研究者の新キャリアパス――第1回「在野研究者という生き方・文系編」を観る。東の語り口のよさ、みたいなのをまず感じた。登壇者のキャラクターのちがいもおもしろく、場のころがりのさまも見応えがあった。「生き方」とタイトルにあるように、自己啓発セミナー的なムードもあり、観客をはげますための、自分の生に対する「人生は終わってるんだが」という荒木の総括や、綿野の「半分失敗しているようなものなので」が愉快だった。わたしも「マネタイズ」とかをまじめに考えられないにんげんなので、深く同感するところだった。また、SNSにおいて運動のための「旗」にならないようにする、という姿勢もわかりみ。反反射的反射を自らがおこなうために、という語が浮かんだ。


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ゴミをだしにいった帰り、ゆきみちに足をとられて左足首をはげしくくじいた。足をくじくだなんてひじょうにひさしぶりのことで、新鮮味を感じていることにも感情がうごかされる。ぴょんぴょんはねながら帰宅し、激痛がからだをかけめぐって、単なる穀潰しからおおおおうめく穀潰しにパワーアップした。泣き言をぼやきつつ患部に保冷剤を無造作にのっけて、クッションを下敷きにして安静状態に置く。高校生の頃に靭帯をやっているので、なつかしい気分にもなる。ぜんぜん痛みが引かないなか、上野千鶴子を読みすすめる。

朝に寝、夜に起きる。トースト2枚。くるぶしのあたりが痛々しくしっかりと腫れている。