はげしい憂鬱(ひとり空爆)

ステートメントの草案をしあげ、グラフィックを付したほうがよさそうだと思ったので制作にとりかかる。イメージありきで素材を探し、手を加え、構成する。テキストを補強するものとしてのイメージ。だから、これは文章に挿絵を入れるというよりも、絵文字をつけるとか、そういう行為にちかいことなのかもしれない(たいして変わらない?)。

めざめると、雪景色。たいそう積もっている。すこし降雪のおさまった頃を見計らって雪をかく。かたまる前の雪なので幾分処理しやすい。あらかた片づけて、食器を洗っていると、またどかどかと降りだし、夕方までにもういちどやる羽目になるかもしれないと思う。ステートメントとグラフィックをみかえし、手を入れて午前がおわる。あっぷするまでにはまだ時間的猶予があるので、寝かしながら考えていく。

午後、ココナラへの登録を済まし、炊事。チャーシューとれんこんとネギの炊き込みご飯をつくる。炊く前からうまい。にどめの雪かきもおこなう。これからどうやってしごとをやっていくかと考えながら、クラウドソーシングについていまさら調べなおしたりしているのだが、ネットの海を見るかぎり、フリーランスというひとつの労働形態が自己啓発的なものにどっぷりととりこまれている感があって、すごくいやなきもちになる。そういう領域から離れてしごとがしたい。会社もいや、フリーランスもいや、と労働まわりに関してわたしは文句しかいっていないが、そもそも労働自体がクソなのだからしかたがない(!)。ビジネスライクなプロフィール文とかを書くのがめちゃくちゃにダルいなと思いながら、夜になるまでちまちますすめる。たけたよと音を鳴らすまえの炊飯器から、いい香りがただよってくる。


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デザインの価格表をつくる。そんな事前に設けた基準値に制作のあれやこれをしばられたくないのでこんなものはあまりつくりたくないのだが、スキルマーケットにおのれの技術を出品する以上、価格の明示がなくちゃならんのと、たのむ側からしてみればやっぱりあったほうが敷居が低いだろうということで、ずいぶん前につくったフリーでやっていきまっせvisualのフォーマットを踏襲して制作。明日明後日で作例と計算例もしあげ、そろそろうなばらへ漕ぎだしていくべさというきもち。

新装版がでるということで、ときおりパラパラとめくってはおもしろいおもしろいと読んでいた斉藤斎藤『人の道、死ぬと街』をひっぱりだしてくる。「今だから、宅間守」、鬼のような連作だ。詞書に「Imagine there's no PRISON.」と置いて、「怖いから仮釈放はしないでと嘆願書出すオノヨーコぼくら」という歌をもってくる苛烈さ。この歌に象徴されるラディカルな倫理に裏打ちされた鋭利な歌が、つぎつぎに展開される。「宗教も文学も特に拾わない匙を医学が投げる夕暮れ」と、「宅間のような人間に関しては、犯罪を防止する方法はない」とのたまう精神科医のコメントを踏み台にして斉藤は歌うが、まさにその投げられた匙を拾おうと試みているのがここにある短歌たちだろう。ひとへの信頼

福島についての歌も多く収録されていて、そもそもわたしはそのうちのひとつの連作が載った『現代詩手帖』の2013年9月号で彼の存在をしったのだが、読んでいるととても自然に涙ぐんでしまう。情がうごかされる。「「福島は、えー、福島は。大変なことになると思います」」。わたしはもっとちゃんとしたほうがいい。むろん、わたしに対して、である。