宙域の交接権をわたす

初夢をみた。日本の南西方面へ旅行に行き、一階がドアなしオープン構造になっている大衆食堂的飲食店で、長机をぎゅうぎゅうに囲みながらワシワシごはんを食べるひとたちを路上からながめている、というシーンだけおぼえている。コロナでできないことの反映か。抑圧の解放としての夢。

29地図2020年映画ベスト回のパート3を聴きながら麻雀を打ち、ラジオで話す話題をメモり、ブログを書いていく。引き続き『アルプススタンド〜』に対する盛り上がりがめちゃくちゃおもしろい。ここまでいわれるのならば観なくちゃというきもちになる。

ポテとともにチャーシュー入りスクランブルエッグもつくり、夕飯。野菜がうまい。しばらくねむり、ラジオ。メモをとっておけばネタがないと思っていてもなんとかなることがわかる。これを話す、という予告の方式ではなくて、メモをならべるほうがよいのかもしれない。今回はリアルタイム視聴数が多く、モチベーションがあがる。数量化・数値化はあぶない・よくないとかいっておきながら、それに一喜一憂してしまうのがひとの性である。次回は初のゲスト回となる。


f:id:seimeikatsudou:20210108083525p:plain
263


めざめると、左手首に赤い傷がついていた。何をしたろう。右手首と見比べてみると、こちらにもタコのようなでっぱりができており、トラックパッドをつかう際の支点になってしまっているのだろうと合点した。さいきんになってクッションをはさむようになった。

アメリカ連邦議事堂へのトランプ支持者による突入劇。仔細はしらないが、その暴力の横溢自体に惹かれるものがある。こうした「ちから」の発露が日本にもあれば、もっとマシな「政治」がおこなわれるのではと思う。わたしがこのように考えるのは、人間性への信頼に依っている。ひとを信じないひとびとは、口々に暴力反対やら、あれは「わたしたち」ではないと声を上げる。クソくらえである。

ポテにトマト缶とカレールーをつっこんで味変する。このルーはキーマカレー用のルーで、スパイスが尖っているのだが、夜にはなじんでくれることを期待し、武田百合子『ことばの食卓』を読みすすめる。おもしろい。唐突なオチのつけかた。そのあっさり感。ラジオでも情感を断っていると「続 牛乳」の父親が死ぬくだりが一行で済まされる箇所を引いて言及したが、全編にわたってその感じが通底している。