棘たちの計量風景

反復可能なメロディがつねづね鳴らされる箱。テレビである。もはや箱の時代ではないか。音の動員力。このことは年末のラジオでも話した。コマーシャルはとにかく耳に残るメロディによって視聴者に印象づけをおこない、気づかぬうちに精神の暗部へと商品やらブランドやらを刷りこんでいく。年末年始はわたし以外の人物が家にいるので、だいたいテレビがついており、うるさい。

2時前ぐらいになり、正月だ、というきもちに乗っかって、日本酒とチューハイを飲む。飲まなくなってしまったからだだというのにロング缶なんてあけてしまったものだから、後半はあたまがガンガンズイズイグングン上昇、夢見心地が地に落ちてぐわんぐわんのぶあんぶあんになる。その感じでdpzを読み、うきうきゆかいでたのしい気分をとりもどす。読んでいて思ったのは、ダイアログでもこういう企画の立てかたをするのはアリかもしれないということで、参加者それぞれが些細な自慢話をする記事「自慢をたのしく言いたいし聞きたい」など対話の場にぴったりではないかということだった。

なんもしてなさすぎて鬱病になりそう。目が覚めたら本を読むぞと決意を書いておく。


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起床・めし・風呂。とくに調理はせず。食後、ミッキーのカレンダーの絵柄にある隠れミッキーをだれがはやく見つけられるかという家族団欒的イベントがはじまり、妹の「これに勝ったらお年玉ね」という一語から一瞬賭け事の様相を帯びるもそうはならず、そのやりとりを聞きながら家族麻雀ができたらなあとわたしは思い(わたし以外だれも打てない)、その思いは数年ぶりの天鳳に結実するのだった。おい、このままでは麻雀漬けの正月になるぞ、、でも麻雀はたのしいよな、、数年ぶりに打って感覚をとりもどしてゆく、かつて(10年も前の話である)は特上卓に上がれず上級卓でうろうろしていた思いで。そんなときがいつくるのかはさだかでないが、つぎにリアルで打つときのために腕を磨いておこう、、

年賀状の追加分を印刷し、ラジオの御礼ヴィジュアルをつくって投げ、じゃがりこを食べながらフジファブリックを聴く。高校生のときによく聞いていた『FAB BOX』。志村没後は聴いていなかったので新しいアルバムたちもひと通りつづけて聴く。ポップネス! なおかつきもちわるさが生きていて、とはいえモーモールルギャバンやニガミ17才とかそういうきもちわるさではない。あかるいんだな。とくに詞が。わたしは「surfer king」が好きなのだけれどもそういうあかるさがある。モールルやニガミが苦手というわけでもない。