火かりの、か気の、香げの、ひか理の、

Androidの画面分割がつかいこなせるようになって、ゆーちゅーぶをみながらブラウジングできるようになった。これまではいつのまにか起動していて、なんもしてないのに!というときと、これ便利だなあというときと、たまに遭遇することがあったのだが、起動のしかたがようわからなかったのである。たからのもちぐされだ。いんすたは対応していないようで、ラジオしながらしらべものもできるのかと思ったが、早合点だった。

ふとんにくるまりながらコンテンツ地獄とMKRの生放送を朝まで観る。だうみさんと綿野恵太と左藤青と闇の自己啓発会。それぞれたのしく見聞きした。自分がラジオをするようになったということが関係しているのか、話されている内容だけではなく、しゃべっているさま自体をおもしろく見る。いかにしてゆかいな語りをつくりだすのか。話者がふたり以上いるという点のちがい。

つづけてランジャタイのラジオも聴く。トークがネタの雰囲気とぜんぜんちがっていておもしろい。おもしろいネタは放送中になんどもくりかえし、掘りかえしている。ランジャタイ自体は、M-1の決勝前に、ボケである国崎がネタパレか何かでウッチャンナンチャンのネタをやっていて、それで存在をしったのだった。お笑い、というか芸人というジャンルは、参入障壁が低い割には、語りがいのあるカルチャーなのだなと今回のM-1をそれなりにたのしんだ過程で思い至った。

朝になってのそのそ起きだし、きのうのあまりの豚キムチに米とキャベツを足して朝食とし、またふとんにもどる。


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げえげえとゲロを吐く夢を見、のどを酷使したような錯覚にとらわれながら起床。チャーシューと水菜をマヨネーズ・マスタード・蜂蜜・ハラペーニョソースで和えたものと、ごま油塩胡椒冷奴をつくり、夕飯。

インターネット巡回のあと、小説を、と思ったがやる気がでず。ひじょうによくない。深夜になってようやく数百字書く。このモチベーションのなさはなんだろうか。グラフィックも停滞している。ただだらだらゆーちゅーぶを見ているだけの日々なのではないか……? 竹尾の紙見本をパラパラし、触感からやる気をあげていく。文化庁のやつは「雑誌をつくる」という事業でだしてもよかったなと思う。個人ではなく、集団制作も半ばセラピー的に(?)やっていきたい。雑誌、つくりたいですね。作品集もそこに至る一歩として考えるのがいいのかもしれない。

コンテンツ地獄でも言及されていた『独学大全』のAmazonトップレビューにこんなことが書いてあった。

 私は、地方の公立高校出身で大学受験や資格試験の際あらゆる勉強法を試し自分でも考え実行し結果を残して来ました。その結論として言えるのは、勉強は「暗記すること」と「反復継続をいかに上手にやるか」がすべてです。これ以外はありません。

12/29日現在、1500人超のひとが「役に立った」を押しているようだが、彼/彼女らのいう「勉強」とわたしの考える「勉強」のあまりのへだたりに、おそろしいきもちになった。レビューにも「大学受験や資格試験」とその目的地が書かれているが、その前提からして理解しあえない。数量化できる知識の獲得としてしか勉強を考えていないがゆえに、「勉強は「暗記すること」と「反復継続をいかに上手にやるか」がすべてです」などという結論があらわれる。答えのあるものしか相手取っていないのである。「わたし」が生きていく上で突きあたる「問題」を、いかにして考えていくかというところにしか「勉強」の所在地はないと思っているわたしのような人間からすると、いったいそれが何になるのというきもちになってしまう(相手も相手側の立場からまったく同じきもちになるだろう)。勉強など、ちいさいスケールでいえば個人の納得のためにあるわけなので(ほんとうか?)、べつに何にならなくてもいいのだけれども。