きみの皮膚をやぶる夜

ミシェル(マイケル)・フランコ『或る終焉』を観た。以下はつい。

或る終焉、終末期の患者に寄り添う看護師の親身な奉仕は、天使のふるまいなのか、あるいは死神の作法なのか?  落着させぬサスペンスの語法が観る者を宙吊りにし、それを吸わんとする窓・鏡・扉といった画面にひらいた開口部が死の徴候を発しつづける。ミシェル・フランコ恒例の凄まじい幕切れに唖然

同監督作では前作『父の秘密』や、次作『母という名の女』のほうが好みだが、慎み深くつくられた良作だと思った。あっ、とおわってしまったので、おわったあとすぐにまた冒頭を観かえしてしまった。死生観云々をもちだして本作に言及するひとを多く見かけたが、わたしはそうした物語の奥地よりも、画にあらわれている表面のほうをたのしくながめた。ほとんどのカットに窓や鏡や扉が登場しているのである。死にかけのひとのうえにひらいたその矩形が、生命を、あるいは観るもののたましいを吸いこんでいく。

ティム・ロスが主演をつとめていて、どうしても『ファニー・ゲームU.S.A』のイメージが抜けないので、それにかさねて観てしまった。原題はchronic。慢性の、とか、常習の、とか、そういう意味である。

富野由悠季伝説巨神イデオン』を1話から3話まで。おかっぱ主体のキャラデザも、カエルのように手足の長いロボットデザインにもピンときておらず、これまでずっと敬遠していたのだが、ようやく手をのばす。おもしろい。1話などめちゃくちゃよくできた導入で、すごく期待できそう。科学庁と軍、主人公サイドと異星人サイド、異星人間のパワーバランスなど、さまざまな対立軸を20数分のなかにつめこみながら、主人公がロボットをうごかし、敵を撃退する。完璧である。そして、とにかくひとの生き死にに容赦がない。1話からバンバンひとが死ぬ。2話ではまだ年端もいかない子供たちまでもが銃を向けられ、向けられるだけならまだしも躊躇なく引き金がひかれる。その母親も登場数分で爆撃によって爆散する。作劇のために、物語の要請のために、ひとびとが数多く死んでいく。2話までは富野本人が絵コンテを描いている。


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父親がゆーちゅーぶにあがっている釣りの映像を居間のテレビで見ている話は以前にもしたが、ときどきそのなかでも下ネタまじりのキャピなギャルがでてるチャンネルのを見てるのがいやだ。母親が帰ってくると再生をやめるのもいやではないか。なんのうしろめたさなのだ。こうして自身の親に不快を感じていること自体が不快である。なんでこんなことをここに書いているのか? わたしの感情を落ち着けるためである。

文化庁から交付決定通知がきていた。ありがたい。だいたいはかためて申請したが、ざっくりなところものこっているので、細部の支出の振りわけを詰めていく。プリンタなどは値段のアップダウンがあるので安いときに買いたいものだが。つくる作品集は「Annoy Brooklyn Murder Girls」と「語法のコレオグラフィ | Wording Choreography」の2シリーズを1冊にまとめようと思っている。現状、作品数が足りないので2月まではここを重点的に増やしたい。