ざぶとん・the, the,

ハッと目覚めるとプリキュアがおわる時間で、そういえば見逃し配信やってたよなとすぐさまTverで観る。すわあだ名問題か?と思うも、話はちがう方向に逸れ、素直になれないもどかし友情話として落着した。それにしても「あだ名禁止」ってどうなんでしょうね。あだ名とともに生きてきた身としてはハテナがあたまに浮かびます。観ている途中、母親の友人がやってきて、わたしの異物性がアトラクションのようにだしものにされる。

朝食は豚・大根・紅生姜を醤油と胡椒で炒めたものを丼で。夜は妹も交えていとこたちと焼肉なのだが、両親のために鶏肉とほうれん草のトマト煮をつくっておく。味見。ベリうまみ。いとこらに会うのもひさしぶりで、昨日にひきつづきたのしみである。


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シャンタル・アケルマン『ある日、ピナが…』。国際ダンス映画祭の催しのひとつ。ひょっとすると東京時代にフライヤーなどを見かけていたのかもしれないが、はじめて認識した映画祭だ。ダンスのフェスティバルというと、Dance New Airがわたしのなかではおおきかった。ピナ・バウシュ振付の作品はいつだったかに同じくvimeoか何かでヴッパタール舞踊団の公演の模様がオンライン公開されていたのを観た以来で、生で観たことはない。アケルマンの映画を観るのも数年ぶりだ。「断片」という語を作品の説明として冒頭に提示しているが、まさに切断的な語り口を好ましく思った。映画としてのおもしろさよりは、題材のおもしろさのほうが前面にでてきているように感じた。『コンタクトホーフ』のシーンで、スーツ姿の複数の男性に一人の女性が触られまくるという場面があったが、それを眺めていて「コンテポラリーセックス」というようなものの可能性の地平を垣間見た。めちゃくちゃ性的なコンテンポラリーダンス。あるいはめちゃくちゃ芸術的なピープショー? すでにやってるひとや団体はいるのだろうが、じっさいに観たことがない。

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ちょろとしらべたらでてきたミア・ハビブ(Mia Habib)のこれなんかはエロスの文脈でやってないのでちがう

ピナ・バウシュの振付における、エロティシズムはすごかった。向き合った男女が自らの肩をむきだしにし、その部分を静かに触れ合わせる。繊細かつ、ちょうぜつセクシャルなコンタクトである。身体のなかでも肩はけっして性的な部位ではないのに、上記のような性器むきだしの身体よりもはるかに性のイメージを観客に与える。きょうれつである。ほか、愛の暴力性のムーブメント化ともいいうる「駆けより→抱きしめ→離れる」のうごきに感動したり、フレーム内フレームのおもしろさだったり、観客の無邪気な拍手のおそろしさだったりをたのしんだ。拍手に関してほほえましいというような形容をする発言を見たが、正気か?と思うと同時に、読みの多様性を思いしった。このズレを許容できるちからが、「あらゆるひとがありのままに生きられる社会」を構成するための土壌になる。