口内炎上痛覚雷鳴

10年以上前からいきたいなと思っていたラーメン屋にいくぞということでまたもたたきおこされ、でかける。食事のまえに母の旧くからの友人の店に顔をだしに行ったが最後、3時間ほどわらいばなしをして目的のラーメン屋の営業時間がおわる。わらいばなしがくりだされる素地となっている人生のあつみをひしひしと感じた。わたしも幼いころから親しんだひとのひとりであり、わたしが歳をかさねることでの変化がおもしろい。中途半端な時間で空いている店を探す気力もなかったので、われらがづっぽで半ちゃん餃子セット。なつかしき味。味に対してつかう「なつかしい」の感覚が「よい」評価に傾くのはおもしろい現象では??と書いていて思った。べつにそこまでうまいわけではないのだが、「安心」がそこにあらわれる。ユニクロに寄り、+Jのシャツを買ってかえる。地方なのでしょっぱい品揃えだが、気になっていたウィメンズのシャツがありほくほくする。4000円台のシルエットとは思えないかわいさ。

へんな時間にラーメンを食べたので、夜は肉まんとトマト。口内炎が治らない。つらい。以前はこんなに長引いていただろうか?

しごとをしていく上での「ゆるさ」と「かたさ(きつさ?)」の両立について。わたしはできうるかぎりおたがいがプレッシャーのない状態で、制作に集中できる環境を共有したいと思っているのだが、たとえばくるはずの連絡がこないとか、そこまでのゆるゆる具合だとそれはそれで困るなと思った。いまみっつほど他者を介するものごとがうごいていて、それぞれ異なるテイストでやりとりがなされているのだが、なかなか「ちょうどよい感じ」をつくれずにいる。さしたくもない棹をどのようにしてさすのか? 話はすこしずれるが、ウェビナーできいた「クライアントと価値を共有する」話がわたしの脳内でグワグワと反響している。


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早朝ハロワアタック。前回、移動でしくじりをかましているので昨晩からひじょうにユーウツな気分がつづいていた。ぶじにバスに乗ることができた時点でずいぶんと気が楽になる。バス停の位置がサイトによってちがうのは罠すぎないか? 公式サイトですらじっさいとはズレてピンが刺さっている。相談をおえたあとはちかばのラーメン屋に寄っていこうと計画していたが、はやくおわりすぎてどこもまだ空いていない。しかたなしに30分以上歩いて遠めのラーメン屋に行く。高校生だったころ地元でいちばん好きだった店だが、いま食べるとたいしたことがなく、わたしの舌も肥えたものだなと思った。鬼のような塩分が口内炎を殺傷する。『富士日記』を相棒にでかけたが、今日の日付を一気に飛び越えて年末に突入した。

帰りの電車までは時間があまっていたので、むかしよく行っていた本屋に立ち寄る。店内の半分以上が雑貨売場に変貌してしまっていて、かなしみやらさびしさやらにおそわれる。ネトウヨ系の本や雑誌が面陳されているのもつらさを増長させる。この忌々しい光景はべつの通っていた書店でも見た。