遅足のチャレンジ

起き、パンを食べ、プリキュアラソンをスタートさせる。まずは第一作、第二作。志水淳児『映画 ふたりはプリキュア Max Heart』『映画 ふたりはプリキュア Max Heart2 雪空のともだち』。後者をとくにおもしろく観た。前者がもとのアニメ版の拡大発展系におさまっていたとするならば、本作はその標題にある「ふたりは」に象徴され、「ともだち」という語によっても強調される「バディ」という主題がより強力に押しだされており、ほのか(キュアホワイト)となぎさ(キュアブラック)の対立や、双子的なボスキャラの存在、「本物の友達」と「偽物の友達」といったキーワードなど、そのテーマにまつわる要素が周到に配置され、「ふたり」という関係性をつなぐ友情や葛藤、いがみあいがていねいに描写されていた。

最大の見どころはなんといってもキュアブラックキュアホワイトのバトルシーンだ。まずは敵に洗脳されたキュアホワイトが無抵抗のブラックに襲いかかり、やがてブラックも洗脳されてバチボコに殴りあう展開になるのだが、その関節技までをもキメる容赦のないアクションと、ふたりの足もとだけを映して殴打音をそこにかさねるというまるでミヒャエル・ハネケ的な直接は映さない暴力描写にすさまじく興奮した。操られたホワイトのまなざしも怒りをあらわした戯画的な表情というよりは、狂気の色が浮かぶ生々しいおそろしさをたたえており、巷で「トラウマ映画」と評されている理由がよくわかる出来になっていた。

ほか、なぎさと喧嘩をしたほのかがおばあちゃんと電話をするシーンで、「何かあったのかい」というようなことを電話口で問いかけられた際のほのかの目の泳ぎようと、黒電話のケーブルを指先でグネグネとこねくりまわしているカットがひじょうによかった。言葉ではなく画で語るのは映画の基本である。

両作の共通点としてはこれまた見どころのひとつである応援シーンと、子供が真似したくなるような「呪文」(かえるピョコピョコ三ピョコピョコ、あわせてピョコピョコ六ピョコピョコ)の存在があって、それがフックのひとつになっているのだろうなと思った。また、芸能人とのコラボレーションもおこわれていて、一作目では工藤静香が女王役の声を担当するとともにエンディングテーマも歌っており、二作目では矢口真里清水佐紀がスキー客として出演するほか、Berryz工房がエンディング曲を歌っていた。

上記に書いたものはだいたいラジオで話したことだが、話していなかったことをひとつつけくわえておくと、必殺技を放つ場面で、プリキュアシャイニールミナス(無印には登場せず、Max Heartにおいて初登場したキャラクターであるが、いまさらながら「プリキュア」でないことにおどろいたわたしがいた)が上を向いて口だけになるカットのカッコよさを挙げたい。面積のちいさくなった顔いっぱいひろがった口のまんまるが表情を隠し、攻撃のダイナミックさを演出する見事な「タメ」として機能していた。


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のち、皿を洗い、シャワーを浴び、服をクリーニングにだしにゆき、ついで買いだしもし、夕ご飯をこしらえる。今日は鶏ごぼう+にんじん、たけのこの筑前煮的なものと、メヒカリの唐揚げ。メヒカリは低温で揚げてしまってちょっとべちゃってしまったが、ちょううまである。煮物もよく味がしみた。○。

食後はゴイティソーロの『サラエヴォ・ノート』をおしりまで読みきってラジオに突入。たのしく疲労する。しょぼい運動以外にふだん疲労することがほぼないので、こうやって週1ペースでつかれることが自分の身をととのえている(ほんとうか?)。ユーゴスラヴィア紛争のこととかもっと下調べしてのぞみたかったが間に合わなかったなというような反省はあるが、話がたびたび逸脱してとっちらかっていく感じがよいかたちをつくるのではと思った。あまり枠をつくらないこと。

ラジオ後はぼんやりネットを徘徊。朝までゆーちゅーぶを観てしまう。フォールガイズやポケモンバトル。ポケモンがほしくなる。家にはスイッチがあるのでソフトだけ購入すればプレイはできるのだが、、手をだしたら一気に時間が吸われてしまうなあと躊躇。育成や厳選が楽になったときくとポケモンバトルがやりたくなるのよな、わたしは努力値とか個体値とかあんまりがんばっていなかったタイプのトレーナーなので、、