けいけん離脱

自身が自身のアートディレクターであること。会社員時代は決定権を相手に手渡すことが多かったが、フリーになった場合はある程度自らの主張をそこにねじこまないといけないのだろうかと思った。インデザに触れはじめたころ、依頼者が連れてきたイラストレーターの絵を勝手に加工してもめたことがあったが、ああいう我はずいぶんと社会によって丸めこまれ、折れることが多くなってしまったのでは、と感じている。たたかおう。自分のつくったものではなく、よいものをつくることにこだわれとは当時の上司の言葉だが、これはその通りだ。

プリキュア起床。アメイジングお手当てという必殺技のネーミングに衝撃を受ける。アメイジングお手当て! つかいたくなる。題名のない音楽会がはじまると思いきや、仮面ライダーがはじまり、しまいには戦隊ものまで。いつの間にか放送時間が変わったのか。子供たちの起きる時間帯が遅くなっているのだろうか。どれも数年ぶりに観た。30分の制約でどうドラマを展開させているのか。ピンチと解決。勘違いと真実。

それぞれがそれぞれの時間に家をでてゆき、ひとりになる。戸田ツトム×鈴木一誌『デザインの種』を読む。こっちにきてからちょろちょろつまみ読みしているのだが、どの頁も含蓄にとんでいておもしろい。たとえばこんな箇所。

T「ITかなごみか」は、「紙の触覚性を必要とするか、不要とするか」の差でしかない。語源的には、マテリアル、マターナルは〈母的なもの〉、自然と物質のふたつは通底している。紙が自然として見えることと、物質として見えることのあいだを、デザイナーとしてはこじ開けたい。

Tは戸田ツトムをあらわす。アルファベットひと文字で発言者を示すこのちいさな技にもひかるものがある。ブックデザインは鈴木一誌×山川昌悟。書体は太め、サイズはちいさく、うるさくないが、ひと目で誰の発言かわからせる。むろん、内容も濃い。環境への視座がある。浅瀬でパチャパチャやっているわたしなどはその洞察の深さに戦慄すらおぼえる。ちゃんとやるとはこういうことだと、みひらきに立ちならぶ文がそれぞれに示している。


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見た目もラブい、しゅうまいちゃん、ダイアログがふっかつしたらパオズ推しでいこうかな、なんでも包んで熱してしまえ、ギョーザやしゅうまいは包子っていわないのかしら、サモサまでぱおずにしてしまう魂胆


夜、買いだしに行き、厚揚げのチーズひき肉長ねぎ餡(?)かけ、白子のバター醤油焼き、インスタント味噌汁。うまみちゃん! たまに筋トレはしているけれども、こんな生活をつづけていると、太りそうでこわいわ。