爪の上に蜘蛛の巣

昼夜逆転ぎみになってきて、よくない。朝、ぎょにそ。夕食の下ごしらえを済ませ、本屋に連れて行ってもらう。しらぬうちに右人差し指の爪の上に蜘蛛の巣と虫の残骸がまとわりついていて、いったいどこから!と声にならない叫びを胸中であげる。目当ての『文藝』が売っておらず、3軒目にてようやくげっと。1、2軒目では入荷の予定もないといわれ、取次のばかやろうがと怒りのきもちを燃え立たせた。季刊だし、定期購読もありかも、などと思う。詩手帖が入っている店があり、そこはおっと思ったのだが、肌の露出の大きいラノベや官能小説誌(?)がガンガンに面出しされていて、ウッとなる。道中、それなりに足を運んでいた書店がつぶれており、かなしいきもちになる。とはいえ、2軒目ではドロヘドロの最終2巻を見つけ、テンションがアガる。重版のしらせはいくたびもあれども、都内じゃぜんぜん見つからなかったのである。

夜、豚とキャベツと玉ねぎのオレンジソース炒め、長芋の醤油漬け。ちゃっとかっこみ、オンライン飲み会。なにげにはじめてか? といっても、彼らは飲み屋におり、そこにわたしが遠隔参加するという変則的なスタイルだが。おもに大学時代のサークル仲間たちとで、せんじつ去る前に飲んだ店かつ座席だったので画面に映る風景を見ているとへんな感覚があった。オンラインでの参加者はほかにもおり、途中居酒屋の映像が止まったりした際に、これはおもしろい場の共有のしかただぞと思った。それぞれがオンライン同士なのではなく、リアルな多人数の場に単独(あるいはそれに準ずる少数)でオンライン参加するのはむつかしいとも感じた。会話にどうしても亀裂が生まれてしまう。また、画面がひとつに対して複数名そこにいる状態では、そこでのやりとりで疎外されるひとがでてきてしまうというのも問題のように思えた。多人数の空間に複数名がオンラインで参加する場合は、画面ひとつに対して1名でやるのがよいのだろう。

ヨコトリのオンラインビューイング(?)で、時間的制約のために観逃してしまっていたパク・チャンキョン《遅れてきた菩薩》とアントン・ヴィドクル 《宇宙市民》 を観る。会場のでかい画面で観たかったなと思った。オンラインで観れるのならばもうちょっと観る作品の選出に工夫ができたのではとも。後者は途中で寝落ちてしまった。


f:id:seimeikatsudou:20200915152056j:plain
ヨコトリ6


インターフェイスの親切さ/不親切さについて。どのようにしてそのものに出会ってほしいのか、という点。何らかを発信していく上で、しばらくはここを考える期間になるのでは。たとえばこのブログは更新通知を他のSNSなどをつかっておこなっていない。わたしがしらないだれかのブログに偶然出会って読むのが好きなことにかさねあわせて、しらないだれかに向けているからだ。ではインスタライブはどうなるのか。とくにだれに向けてという意識はあまりなく、わたし(たち)の窓のような場になればと思っている。いつだか近美で観たしらないひとの家の窓を撮る作品のことを思いだす。事前に手紙を置いておき、この日時に撮りますといって、窓いちまいを隔てたコミュニケーションをそこに起こすのだ。