ちゃんとおわっていくために

衿沢世衣子にであったのは大学1年生のときだ。当時所属していた文芸サークルのさむくてせまい部室の、これまたちいさな本棚におさまった『アックス』に「放課後バックビート90」という作品が掲載されており、ひとりで暇を持て余しているときにぱらとめくってそのハイテンションなのに低体温みたいな「感じ」にハマったのだった。この作品が収録されている短編集『向こう町ガール八景』の初出一覧によれば、それは2004年の2月にでた号で、それだけの期間を棚の片隅で過ごし、わたしの手によってひらかれるのを待っていた、と思うとさらに感慨は増す。作品題をついったで検索にかけると、わたしのついーとしかでてこないのもスペシャル感がある。近年あんなにバズっているのに!

わたしはこういうものが好きなのだということを、「こういうもの」に触れてはじめて気づく。衿沢世衣子に手をのばすというのは、そういう体験だったのではないかと単行本を読みかえしていて思った。白井弓子『WOMBS』全巻と、読みさしていたエマニュエル・ギベール『アランの戦争』も最後まで読む。ウームズに関しては、先日のインディーロック飲み会で生まれてはじめて(?)げんじつでその名を呼び交わし、めちゃめちゃ好きだったのだよなと頁をひらいたのだった。なんと最終巻はシュリンクがやぶられていないではないか!とおどろきながら最後の頁まで一気に読みすすめ、やっぱりすばらしい作品だとうなったのだった。途中、サイン本があらわれ、コミティアで描いてもらったのだよなと思いだす。


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ヨコトリ2(?)


起床、ちろちろと荷造りのつづき。朝、ひき肉・長ねぎ・えのきのクスクスバター風味。こんなペースでおわるのかしらと思いつつも、めかしこむのもさいごだとクルニのセットアップをおろして途中ででかけ、イメージ・フォーラム・フェスティバルでペーター・チェルカススキー特集。全席解禁を待たずにサイテーの席を予約してしまったのだが、そんなことがぶっ飛ぶほどにすばらしかった。からだじゅうをつらぬいてゆく、しびれる興奮! ひさびさに実験映像で高揚した。フィルムの縦の運動に対するエクスペリメンタルな横の運動。なによりもファウンド・フッテージを用いていることにわたしは多大なるシンパシーを感じる。すでにあるものを用いて新たななにかをつくりだす、これ、編集的創造性である。耳をつらぬく爆音もたのしかった。

のち、大学時代から通っているセレクトショップに東京を去るご挨拶をし、帰宅。どこからともなくフレンズたち(O、Nくん、Yくん、Aさん、Nくん2)が続々とあつまってきて、荷造り&おそらく最後(?)のパーティをする。冷蔵庫を空にするために続々とフードをつくる。朝ののこりのクスクス、ピーマン・ナス・キャベツ・たまねぎ・豚肉からなる野菜スープ、茄子のラー油マヨおかか和え、ピータンタルタル&いぶりがっこタルタルクラッカー、ザーサイオムレツ、キムチ、ピクルス。もりもり食べ、もりもりはたらき、ちょびちょび飲んでだいたいおわる。つかいきれなかったわさびチューブを泣く泣く捨てようとすると、捨てるならもらうとOがいってくれ、わたしも食べ物をむだにしたくない質なのでうれしいなあと思った。あとは明日ひとりで大丈夫だろうというところで時間がきて解散。もっとも近所のNくん2とちっとばかし延長戦し、やがてバイバイする。ひとりになるとちょっぴりさびしいきもち。明日でこの家ともお別れなのだ。住人がふたりからひとりになり、やがてひとりの時間のほうがおおきくなった。約4年間、さまざまな念がつもりにつもった場所である。