なにからなにまでなにをなに

朝起きてダイアログの関連棚の写真を撮り、SNSで宣伝。まいにちイベントをひらくということは、宣伝おばけにならなくちゃいけないってことなんだな。告知だけしてるような存在にはなるまいと思っていたのにそうなってしまっていてやっていて抵抗感がある。しかしやらねばひとはこない。


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豚肉とマッシュルームとじゃがいものケチャソース(調味料使いきり月間)炒め煮、いわば洋風肉じゃがである(ほんとかよ


はやめにゴミをだしたりなんなりし、シネマヴェーラへサイレント特集を観にゆく。これまた観逃しつづけてきたカール・テオドア・ドライヤーの『裁かるゝジャンヌ』である。もともとはトリアーの影響源として興味をもち、以来上映の機会があるたびにねらっていたのだが、なかなかどうして行くことができず、ウン年が経過していたのだった。

まず顔芸映画だ!と思ってしまうことの不幸を考えた。スクリーンには顔ばかり映り、しかもその表情は、くっきりとした陰影に縁どられ、よくうごく特異さをたたえている。公開当時はけっしてそんな風には観られることがなかったと想像するのだが、たとえばオフィスマウンテンの「顔面演劇」のことなどが鑑賞中あたまをよぎっていった。

終盤まで画面に映る女はほぼジャンヌひとりだが、処刑のシーンに移った途端、いままでどこに隠れていたんだといわんばかりに女たちの顔がスクリーンを占拠する。火あぶりに処されるジャンヌを見守る、悲惨さを映しだす鏡としての女の顔。利用される女性性。そんなことを思った。

のち、ジュンク堂で1時間ほど棚をながめる。市田良彦の『存在論的政治』と藤野裕子『民衆暴力』を買い、店をでる。Bunkamuraから代々木八幡に歩いてゆきながら、涼しくなってきたなと肌に触れる秋の風を感じて思う。

夜、鯨井風汁なし麺。サニーレタスと豚、卵入り。