おれたちは永遠にインスタントミュージックの流れる街のなかを歩きつづけ、彷徨いつづけ、迷いつづけて死ぬだろう(誰ひとり見舞う者はいない

休出。これがさいごだといいきれないところに闇がある。

ロジックの役に立たなさ。感情vs.論理のテーゼはこれまでなんども相対してきた問題であり、ここでもなんどか触れているはずだが、やはり論理は感情に対してなすすべがないのだと思った。かといってわたしは論理を切り捨てるような真似はしないし、したくはない。感情の優位を認識しながら、めげずに論理を積みかさねていくこと。そこにしがみつくようなふるまいもしないが。

でていないほうが芥子粒みたく感じられる(あくまで感じられるだけであって、こちらもたいそうなおおごとであるが、些事と看做されているためにさておかれている)くらいに自分の身からでた錆のほうの重圧が心身を蝕んでいる。さまざまな要因をひとつひとつひもといていけば、多少なりともいまかかっている荷重を減らしてくれるのかもしれないが、そんなことをしたとて結果が覆るわけではなく、ただただ自らの過ちを反省するしかなく、つらさで胃に穴が空きそう。余波のおおきさに申し訳が立たず、何ひとつ、、

言語化の壁を感じる。精神に対する重みがきつすぎて、現状が言葉にならない。だけれども、ならないものをなるようにする、その試みの回数が、わたしをよりわたしにし、そこに生じるきしみの深さが、経験のしわとなって生に刻まれる。そんなヴィジョンを抱きつつも、どうしてこうなってしまったの、という嘆きに取り憑かれている。とにかく自分のきもちを立てなおさないことにはなにもできない。


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夜、水菜とひき肉の焼きうどん、ナンプラーオイスターソース味、烏龍茶、胃が痛くて食べきれず(そんな状態なのに鷹の爪を入れるなという話だが、袋いっぱいにめちゃくちゃ余ってるのでつかわざるを得ない、なお身は食べないのでそこまで辛くない


そんなことをいえない、という空気をつくる技術。まったくべつのちからを、異なる方向からぶつけることで、余計なくちをふさがせるテクニック。恩を着せ、負い目を負わせ、ひとの行動を左右させる作法。そうまでしてわたしは生きていたくないな。あおくさくったって、したたかさってもっとちがうものだと信じている。

まいにちクーラーを入れているので電気代がおそろしい。追加の減給処分が下り、ちゃんと引っ越せるのかいよいよ不安になってきた。そういうところで生をおびやかされている立場では、はっきりいってなにひとつ為すことができないなと思う。つねに金銭的な不安に苛まれ、精神の羽をのばす時間がないのだから。