余計な期待をするために

通勤中は津村記久子を読みすすめる。リーダブル。そしてわらえる。風がもうれつにつよい。傘がもっていかれる。ほかはだれも差していない。小雨に対する対応のしかたでそのひとのことがわかる。わかってたまるか。

きょうは井桁弘恵のかわいさについてずっと考えていた。1話もみていないいまやっている仮面ライダーティーザースチルがでたときから気になっていて、きょうようやく名前をしらべた。とても好みの顔立ちである/加筆:まじまじ見ていたらそうでもないように思えてきた、好みの顔立ちとはいったいなんなのか、フローレンス・ピューが英国の料理を食べる動画を観ながら思ったのは、わたしは表情のゆたかさに惹かれる面があるらしいということだ、ともかく、fuck off lookism! しばらくまえにラッパーとシンガーの友人とさんにんで飲んでいた際に好きなタイプはどんなひとみたいな質問責めにあい、いろいろ答えていった結果「ビリー・アイリッシュだ!」という思ってもいなかった結論がだされ、まあたしかに考えてみるとそういうことかもなと納得していたのだが、見た目の話でいえばよい例ができたかもしれない。ちなみにわたしはグレタ・ガーウィグみたいなひとが好きだと自分では思っている。もう一歩すすめれば、そこで「ああー」となってくれるひとがいい。

それで、井桁弘恵のインタビュー記事を読んでいると、座右の銘として「死ぬこと以外はかすり傷」が挙げられていて急速にきもちが萎えていったのだが、そこから派生してこの言葉の源をたどっていくと、能町みね子がすでに昨年しらべており、アメリカのボートレーサー(「ビル・マンティ」という名前だそうだが、いくつかのスペルで検索をかけてみてもその人物の詳細にはたどりつけなかった、そんなに時間をかけてまでしらべたいことではないのでひとまずこの表記とする)の言葉に行き着いていた。この言葉が日本で膾炙していったのはアムウェイの影響もあるらしく、ネオリベホモソーシャル的な価値観に浸かりきったセクハラパワハラ編集者の著作名として墓標にきざまれたいま、なんだか因果めいたものを感じる。

で、わたしの心境の話にもどると、こうやってたったひとつの汚点あるいは欠点を発見しただけでなにかを判断するのはやめたほうがいい、とわたしを諭す内なるわたしが眉間にしわを寄せているすがたが目に入る。ほんとにね、そうだよねと相づちを打つわたし。そういう傾向がある自覚はあるのだ。そもそも上記の例でいえばおそらく出発点はちがうのだろうし、、(だがインタビューは2020年のもの、わたしが嫌悪するほうの文脈をしらないなんてことあるのか? あるんだろうな)

いや、そういう問題ではない。インタビューではあまりものごとを気にしすぎずに楽観的にいこうというようなニュアンスで用いられていたが、この言葉が象徴的にあらわしているのはネオリベやマチズモ的な価値観であって、それこそを討たねばならない……と、自分のめんどうくささにめんどうになってくるので書くのをやめる。

退勤後、『文藝』のシスターフッド特集を小脇に抱えながら『文學界』の磯崎憲一郎×乗代雄介の対談を読んでいると、その最中にふたり、『文藝』をレジにもっていくひとがいた。売れているのだなあと思う。ほかの雑誌を手にとるひとは、わたしが立ち読みしているあいだにはいなかった。対談はうなずきマックスラブ全開。もっと読めよという憤りのひとりの的として、いやほんともっと読まなくちゃというきもちになる。来週末の『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』の発売がたのしみすぎるな! ふたりの話のなかででてきたムージルの本を探したが売っておらず。代わりに児童文学のコーナーで『若草物語』を買う。思っていたよりもぶあつい。文字のおおきなゆとりある組版若草物語が面陳されていた棚をながめ、本を手にとってはなつかしいなつかしいとつぶやく女性がおり、わたしもおなじく棚をながめて小学校時代の読書遍歴を思いかえすのだった。

会社をやめたら髪をまっピンクにして、それから坊主になりたい。


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排気口短篇公演『いそいでおさえる嘔気じゃない』のフライヤーのコピーとデザインを担当しました。本公演は、2020.8.7-10(金.土.日.月祝)に阿佐ヶ谷アートスペースプロットで上演されます。劇団のエッセンスが凝縮された、短篇3本立て。排気口入門にぴったりです。ぜひお運びください。こちらから予約ページに飛べます。よろしくお願いします◎